

●まったく異なる故事ですが、「南華」と「南柯」の同音異語でなんとも紛らわしくていけません・・・(^^;)
●良く出てくるのは「南柯の夢」のほう。「槐安の夢」ともいいますね。
●「南柯の夢(槐安の夢)」・・・はかないことのたとえ。
「南柯(なんか)」は、南に伸びた枝。唐の淳于棼(ジュンウフン)が酒に酔って庭の槐(えんじゅ)の木の下で眠って夢を見、その夢の中で淳于棼が大槐安(だいかいあん)国の王から南柯郡の長官に任じられた。郡内はよく治まり国王の娘とも結婚して栄華を極めた。その後、敵国の侵略や愛妻の死んだりして意気消沈し、国王のすすめで帰国したところで夢から覚めたお話。夢から覚めて、槐の木の下を見ると、2つの穴があり、1つには大蟻が王として住んでいて、もう1つは南柯郡を思わせるように、南に向かって伸びた枝に通じていたという故事。
●「南華の悔い」:上司の怒りを買って、才能があるにもかかわらず出世の道が断たれることの悔い。
「南華(なんか・なんが)」は「南華真経(なんか・なんが しんきょう)」の略で「荘子」の別名。中国の唐の詩人・温庭筠(オンテイキン)が宰相の令狐綯(レイコトウ)に昔の出来事を質問され、「そのことは「南華真経」に載っているから、お暇なときに自分で調べください」なんて答えたため、宰相の怒りを買い、最後まで科挙に合格することができなかったという故事(^^)・・・日本風にいえば「口は災いの元」ですかね(^^)
●なお、「南華」にかかわる別の故事で「半部の論語」というのがあります。
・宋の趙普という人の故事。その人が、太宗との問答で「半部の論語で太祖の功業を助け、いまは半部の論語で陛下の治世を助けております。論語は天下を太平にするに足るものです」と答えたもの。
ここから、「 「治世の要」は、半部の論語、 「出世の要」は、一巻の南華(なんが・なんか)あり。」という故事成語が生まれたようです。
(注)「出世の要」の「出世」は現代風の「出世(しゅっせ)」の意味ではなくて、(老荘思想ですから)無為自然で人世を超越するため、「出世の要」というそうです。

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