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我孫子・手賀沼と愛猫レオンの徒然日記。漢検1級チャレンジャーの方の参考となるブログ。2018年7月から“俳句”も開始。

漢検1級 27-③に向けて その111  文章題訓練㊵

2016年01月18日 | 文章題
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<「漢字の学習の大禁忌は作輟なり」・・・「作輟(サクテツ)」:やったりやらなかったりすること・・・>

<漢検1級 27-③に向けて その111>
●「文章題訓練」その㊵です。㊴~㊸まで連続5題、「俳人蕪村」(正岡子規)からの出題です。ちょっとおもしろい趣向の出題になったと思いますが如何でしょうか(^^)
●難度は並み・・・チャレンジャーは80%(24点)以上が目標・・・。リピーターは限りなく100%とりたいところ(^^)

●文章題㊵:次の文章中の傍線(1~10)のカタカナを漢字に直し、傍線(ア~コ)の漢字の読みをひらがなで記せ。(30) 書き2×10 読み1×10
「・・・(客観的美)
 積極的美と消極的美と相対するがごとく、客観的美と主観的美ともまた相対して美の要素をなす。これを文学史の上に照すに、上世には主観的美を発揮したる文学多く、後世に下るに従い一時代は一時代より客観的美に入ること深きを見る。古人が客観に動かされたる自己の感情を(1)チョクジョするは、自己を慰むるために、はた当時の文学に幼稚なる世人をして知らしむるために必要なりしならん。これ主観的美の行われたるゆえんなり。かつその客観を写すところきわめて(ア)麁鹵にして精細ならず。例えば絵画の輪郭ばかりを描きて全部は観る者の想像に任すがごとし。全体を現わさんとして一部を描くは作者の主観に出づ。一部を描いて全体を想像せしむるは観る者の主観に訴うるなり。後世の文学も客観に動かされたる自己の感情を写すところにおいて毫も上世に異ならずといえども、結果たる感情をチョクジョせずして原因たる客観の事物をのみ描写し、観る者をしてこれによりて感情を動かさしむること、あたかも実際の客観が人を動かすがごとくならしむ。これ後世の文学が面目を新たにしたるゆえんなり。要するに主観的美は客観を描き尽さずして観る者の想像に任すにあり。
・・・
 蕪村の句の絵画的なるものは枚挙すべきにあらねど、十余句を挙ぐれば
木瓜の陰に顔たくひすむ(イ)雉かな
釣鐘にとまりて眠る胡蝶かな
やぶ入りや(ウ)鉄漿もらひ来る傘の下
小原女の五人揃ふて袷かな
照射(ともし)してささやく近江八幡かな
葉うらうら(エ)火串に白き花見ゆる
卓上の(オ)鮓に眼寒し観魚亭
・・・
のごとし。一事一物を画き添えざるも絵となるべき点において、蕪村の句は蕪村以前の句よりもさらに客観的なり。
(人事的美)
 天然は簡単なり。人事は複雑なり。天然は沈黙し人事は活動す。簡単なるものにつきて美を求むるは易く、複雑なるものは難し。沈黙せるものを写すは易く、活動せるものは難し。人間の思想、感情の単一なる古代にありて比較的によく天然を写し得たるは易きより入りたる者なるべし。俳句の初めより天然美を発揮したるも偶然にあらず。しかれども複雑なるものも活動せるものも少しくこれを研究せんか、これを描くことあながち難きにあらず。ただ俳句十七字の小天地に今までは辛うじて一山一水一草一木を写し出だししものを、同じ(カ)区劃のうちに変化極まりなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮写せんとするは難中の難に属す。俳句に人事的美を詠じたるもの少きゆえんなり。芭蕉、去来はむしろ天然に重きを置き、其角、嵐雪は人事を写さんとして端なく佶屈聱牙に陥り、あるいは人をしてこれを解するに苦しましむるに至る。かくのごとく人は皆これを難しとするところに向って、ひとり蕪村は何の苦もなく進み思うままに(2)カッポ横行せり。今人はこれを見てかえってその容易なるを認めしならん。しかも蕪村以後においてすらこれを学びし者を見ず。
・・・
 蕪村の句は
行く春や選者を恨む歌の主
(キ)命婦より牡丹餅たばす彼岸かな
短夜や同心衆の川手水
少年の矢数問ひよる念者ぶり
水の粉やあるじかしこき後家の君
・・・・・
のごとき数え尽さず、これらの(3)ジュウ必ずしも力を用いしものにあらずといえども、皆よく蕪村の特色を現わして一句だに他人の作とまごうべくもあらず。(4)テンピンとは言いながら老熟の致すところならん。
 天然美に空間的のもの多きはことに俳句においてしかり。けだし俳句は短くして時間を容るる能わざるなり。ゆえに人事を詠ぜんとする場合にも、なお人事の特色とすべき時間を写さずして空間を写すは俳句の性質のしからしむるに因る。たまたま時間を写すものありとも、そは現在と一様なる事情の過去または未来に継続するに過ぎず。ここに例外とすべき蕪村の句二首あり。
御手討の夫婦なりしを更衣
打ちはたす(ク)梵論つれだちて夏野かな
 前者は過去のある人事を叙し、後者は未来のある人事を叙す。一句の主眼が一は過去の人事にあり、一は未来の人事にあるは二句同一なり、その主眼なる人事が人事中の複雑なるものなることも二句同一なり。かくのごときものは(5)コオウ今来他にその例を見ず。
(理想的美)
 俳句の美あるいは分って実験的、理想的の二種となすべし。実験的と理想的との区別は俳句の性質においてすでにしかるものあり。この種の理想は人間の到底経験すべからざること、あるいは実際あり得べからざることを詠みたるものこれなり。また実験的と理想的との区別俳句の性質にあらずして作者の境遇にあるものあり。この種の理想は今人にして古代の事物を詠み、いまだ行かざる地の景色風俗を写し、かつて見ざるある社会の情状を描き出すものこれなり。ここに理想的というは実験的に対していうものにして両者を包含す。
 文学の実験に依らざるべからざるはなお絵画の写生に依らざるべからざるがごとし。しかれども絵画の写生にのみ依るべからざるがごとく、文学もまた実験にのみ依るべからず。写生にのみ依らんか、絵画はついに微妙の趣味を現わす能わざらん、実験にのみ依らんか、尋常一様の経歴ある作者の文学は到底(6)チントウを脱する能わざるべし。文学は伝記にあらず、記実にあらず、文学者の頭脳は四畳半の古机にもたれながらその理想は天地(7)ハッコウのうちに(8)ショウヨウして無碍自在に美趣を求む。羽なくして空に(ケ)翔るべし、  (9)ヒレなくして海に潜むべし。音なくして音を聴くべく、色なくして色を観るべし。かくのごとくして得来たるもの、必ず斬新奇警人を驚かすに足るものあり。俳句界においてこの人を求むるに蕪村一人あり。   (コ)翻って芭蕉はいかんと見ればその俳句平易高雅、奇を(10)ゲンせず、新を求めず、ことごとく自己が境涯の実歴ならざるはなし。二人は実に両極端を行きて毫も相似たるものあらず、これまた蕪村の特色として見ざるべけんや。・・・」「俳人蕪村」(正岡子規)
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(1)直叙 (2)濶歩(闊歩) (3)什 (4)天稟 (5)古往 (6)陳套 (7)八荒 (8)逍遥 (9)鰭 (10)衒
(ア)そろ (イ)きぎす (ウ)かね (エ)ほぐし (オ)すし (カ)くかく (キ)みょうぶ (ク)ぼろ (ケ)かけ (コ)ひるがえ
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