「ハネダ・キヨサキ・アルファブシ」
我が家で3月23日から来年の2月までホームステイしながら高取国際高校2年生に通うインドネシアから来た留学生の名前
かねてから今井町町並み保存の知名度を上げたいためにPRに精を出していたが、理想が高過ぎてなかなか地元奈良では思うような成果が出ない時期が続いていた頃、世界遺産クラスの今井町ならいっそのこと外国の人たちにもPRして今井町を理解してもらおうと知り合いに話をしていたらtetsudaさんが沢山の方を紹介してくれた
その内の一人、奈良女子大のM教授(AFS奈良支部長)から留学生に今井町で研修していただけないかというお申し出があった
書道とお餅搗きと着物体験で町を楽しんでいただいた
また、南都銀行のインターシップで中国からの留学生を迎えることもあった
その他、外国に強い新公会堂の館長Yさんを御紹介いただいたのも、オーストラリアからのAさんを紹介していただいたのもこの頃であった
また、我が家に研修とイベントのお手伝いに還ってくる学生たちの中にも中国からの留学生が混じるようになってきたり、ハンガリーの青年が泊るようになってきたり、シリアからジャイカを通じて視察に来町など効果が見え始めてきた
そんな時、MさんとYさんから奈良県中南部でインドネシアからの留学生を約1年間ホームステイしてくれる方を紹介してくれないかと相談が来た
学校は高取国際高校へ通学、報酬は無し、弁当は作って持たしてほしい
イスラム教徒なので豚はダメ、真夏に1カ月の断食(朝3時までに朝食を取った後は夜7時過ぎまで食事はおろか水分もダメ)がある
各方面に打診したがすべてやんわりとお断りされた
ふと気が付いたら今井町を海外に紹介したいと言っている自分が対象に入っていない
自分が引き受けたらいいんだと家内に相談(というよりいつもの通り告知)して我が家で引き受けましょうと二人に告げた
このために予定していた我が家の改修を断念して応接間のセットを出して彼の部屋にあてがった
こうしてやってきたのがハネダ君
3月23日、京橋駅で奈良県に滞在の5人に交じって降り立った彼が発したお父さん、お母さんの声に家族を確信した
しかし、日本語が通じないあわてて電子辞書を買ってきて、遠い昔に習った英語の単語を並べるが、インドネシア語が母国語の彼の英語もあまりしっかりしていない
あの手この手を使っての珍会話が始まったが、かれの素直で陽性な性格で最初から馴染んでくれた
そんな彼に最初に聞いたのは
1、名前とその由来…彼の父親が2年間日本に滞在していたそうだが、最初に羽田空港で出会ったキヨサキと言う日本人に親切にしていただいたので、わが子に命名したとのこと、因みにかれの兄もナリタ・マツオカ・という日本名が付けられており、親日家で生まれている
2、 日本で何を学びたい…日本語と日本文化
3、 将来何になりたい…外交官になって大使官になりたい
これは良い息子が出来た 大事に躾なければ
まず最初に教えたのは食事での配ぜん
1、 お父さん、お母さん、ハネダの順に配ぜんすること
2、 お客さんが来たときの自分が座る位置を感じること
3、 必ず挨拶をすること
4、 必ず有難うのお礼が言えること
後は感の良い子でのびのびとさせ、町の行事には出来る限り参加させているが、喜んで参加しているので、みんな大事にして仲間入りさせてくれ、早い時期に町の多くの人と言葉を交わし、可愛がられている
今は週に1~2回の書道の練習と、月3回のお茶の練習を楽しみにしている
朝も早い、家内が起きるとすぐに起きてきて、雨戸をあけてクリーニングと称して庭掃除、草ひきをしてくれる(最初は雑草と茶花との区別がつかず、すべて引き抜かれて困ったこともあったが)
庭木の剪定を教えたり、マンションの掃除を手伝わせたりするも、すべて喜んで汗を流しているのはこちらも気持がいい
文化の違いでお風呂はシャワーだけとか、断食の1カ月は食事のズレなど不満がないと言えばうそになるが、それらをすべて帳消しにする未来を感じさせる息子が持てたことがうれしい
いつのまにか滞在期間の半分を過ぎたが、ハネダならと言う事で断念していた我が家の改修を行ったが、不便な2カ月余りの仮住まいも苦にせず、大工さんに可愛がられて、お手伝いをして喜ばれていた
1日たりとも休息のない我が家に来て、果たして幸せなのか、比較する術を持たない彼にはこれも良かなと思っている
怠け者の日本を感じてくれるよりも、勤勉、働き者の日本を感じてそれをお土産に還って、日本を語ってくれる そんな体験をしてほしいなと思っている
我が家で3月23日から来年の2月までホームステイしながら高取国際高校2年生に通うインドネシアから来た留学生の名前
かねてから今井町町並み保存の知名度を上げたいためにPRに精を出していたが、理想が高過ぎてなかなか地元奈良では思うような成果が出ない時期が続いていた頃、世界遺産クラスの今井町ならいっそのこと外国の人たちにもPRして今井町を理解してもらおうと知り合いに話をしていたらtetsudaさんが沢山の方を紹介してくれた
その内の一人、奈良女子大のM教授(AFS奈良支部長)から留学生に今井町で研修していただけないかというお申し出があった
書道とお餅搗きと着物体験で町を楽しんでいただいた
また、南都銀行のインターシップで中国からの留学生を迎えることもあった
その他、外国に強い新公会堂の館長Yさんを御紹介いただいたのも、オーストラリアからのAさんを紹介していただいたのもこの頃であった
また、我が家に研修とイベントのお手伝いに還ってくる学生たちの中にも中国からの留学生が混じるようになってきたり、ハンガリーの青年が泊るようになってきたり、シリアからジャイカを通じて視察に来町など効果が見え始めてきた
そんな時、MさんとYさんから奈良県中南部でインドネシアからの留学生を約1年間ホームステイしてくれる方を紹介してくれないかと相談が来た
学校は高取国際高校へ通学、報酬は無し、弁当は作って持たしてほしい
イスラム教徒なので豚はダメ、真夏に1カ月の断食(朝3時までに朝食を取った後は夜7時過ぎまで食事はおろか水分もダメ)がある
各方面に打診したがすべてやんわりとお断りされた
ふと気が付いたら今井町を海外に紹介したいと言っている自分が対象に入っていない
自分が引き受けたらいいんだと家内に相談(というよりいつもの通り告知)して我が家で引き受けましょうと二人に告げた
このために予定していた我が家の改修を断念して応接間のセットを出して彼の部屋にあてがった
こうしてやってきたのがハネダ君
3月23日、京橋駅で奈良県に滞在の5人に交じって降り立った彼が発したお父さん、お母さんの声に家族を確信した
しかし、日本語が通じないあわてて電子辞書を買ってきて、遠い昔に習った英語の単語を並べるが、インドネシア語が母国語の彼の英語もあまりしっかりしていない
あの手この手を使っての珍会話が始まったが、かれの素直で陽性な性格で最初から馴染んでくれた
そんな彼に最初に聞いたのは
1、名前とその由来…彼の父親が2年間日本に滞在していたそうだが、最初に羽田空港で出会ったキヨサキと言う日本人に親切にしていただいたので、わが子に命名したとのこと、因みにかれの兄もナリタ・マツオカ・という日本名が付けられており、親日家で生まれている
2、 日本で何を学びたい…日本語と日本文化
3、 将来何になりたい…外交官になって大使官になりたい
これは良い息子が出来た 大事に躾なければ
まず最初に教えたのは食事での配ぜん
1、 お父さん、お母さん、ハネダの順に配ぜんすること
2、 お客さんが来たときの自分が座る位置を感じること
3、 必ず挨拶をすること
4、 必ず有難うのお礼が言えること
後は感の良い子でのびのびとさせ、町の行事には出来る限り参加させているが、喜んで参加しているので、みんな大事にして仲間入りさせてくれ、早い時期に町の多くの人と言葉を交わし、可愛がられている
今は週に1~2回の書道の練習と、月3回のお茶の練習を楽しみにしている
朝も早い、家内が起きるとすぐに起きてきて、雨戸をあけてクリーニングと称して庭掃除、草ひきをしてくれる(最初は雑草と茶花との区別がつかず、すべて引き抜かれて困ったこともあったが)
庭木の剪定を教えたり、マンションの掃除を手伝わせたりするも、すべて喜んで汗を流しているのはこちらも気持がいい
文化の違いでお風呂はシャワーだけとか、断食の1カ月は食事のズレなど不満がないと言えばうそになるが、それらをすべて帳消しにする未来を感じさせる息子が持てたことがうれしい
いつのまにか滞在期間の半分を過ぎたが、ハネダならと言う事で断念していた我が家の改修を行ったが、不便な2カ月余りの仮住まいも苦にせず、大工さんに可愛がられて、お手伝いをして喜ばれていた
1日たりとも休息のない我が家に来て、果たして幸せなのか、比較する術を持たない彼にはこれも良かなと思っている
怠け者の日本を感じてくれるよりも、勤勉、働き者の日本を感じてそれをお土産に還って、日本を語ってくれる そんな体験をしてほしいなと思っている
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