*🍀* ゚゚゚・。。♣。。・゚゚🍀 遊行期游泳575交心 🍀゚゚・。。♣。。・゚゚゚ *🍀*
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★ ありがとうございます。
*🍀* 遊行期游泳575交心xyw0902
――♣♪♣―――――――――――――♣♪♣――
芽吹き時草木は自ずと歓喜する
――♣♪♣―――――――――――――♣♪♣――
<本当の自分に恋をして幾度振られたか解りません>
<本当の自分>は、あなたが早くそんな自分に気がついて、本気で恋をしてくれるのを待っているはずですけれどね・・・
人は、いつでも同行二人です。
もうひとりの本当の自分と、縁で現象している自意識の自分です。
もうひとりの自分というのは、命の根源につながる存在ですから、みんなそこから始まって、そこへ帰るものです。みんなそこへ行きたがっています。
そこは命の故郷。
> 「この世」では、私とあなたは別人であり、路傍の石ころや空飛ぶジェット機は、それぞれ別個の独立した物体であり、太陽や月は、私とは無関係な、はるか彼方にある天体です。ところが、「あの世」では、私はあなたであり、同時に石ころでもジェット機でもあり、また太陽や月、さらにはアンドロメダ大星雲でもあるのです。〔天外〕―― 。。。天下伺朗『理想的な死に方』p169
いろんな人が、いろんな言い方をして、そこの話をしていますけれど、一休さんはそこで生きている人を面目坊と呼んでいます。命のあるがまんまを受け容れて、歓喜して生きていける人です。愛に溢れている人です。
一休さんと森女さんの恋を、ぼくは言葉あそびで、<恋弥勒>と呼んでいます。
ぼくは言葉あそびでそんな人たちとめぐり逢い、交心して、自然を分かちあい、歓喜も悲哀も共振し合える次元の世界をあそんでいるに過ぎませんけれど・・・
> ――宇宙は二重構造になっており、私たちがよく知っている物質的な宇宙(この世=明在系)の背後に、もうひとつの目に見えない宇宙(あの世=暗在系)が存在します。「あの世」には「この世」のすべての物質、精神、時間、空間などが全体としてたたみ込まれており、分離不可能です。〔ボーム〕―― 。。。天下伺朗『理想的な死に方』p166
この世界は眼に見える世界と、眼に見えない世界が、重なり合って存在しているといいます。物がプラスとマイナスで反発し合い、引きつけ合って存在しているように、愛にもプラスとマイナスがあり、また見える愛と見えない愛があるのでしょう。
宇宙の根源的なエネルギーは愛、秩序と調和だと、ぼくは念います。
その根源的な宇宙からわたしたちは誕生しているのです。
<本当の自分に恋をして幾度振られたか解りません>を<本当の自分に恋をして、宇宙の愛を受信できるようになったら、人間だけではなく、草木も動物も海も空も愛することができるようになりました>といえる言葉あそびをはじめてみませんか・・・
> > ――諸君!
魂のはなしをしましょう
魂のはなしを!
なんという長い間
ぼくらは 魂のはなしをしなかったんだろう―― 。。。吉野弘「burst」孫引き
芽吹き時草木は自ずと歓喜する 仁
光を分かち愛分かち合う
> 禅では「乾坤只一人」と云い、例えば新聞紙上に登場するすべての人々、何かで表彰されている人も、殺人や窃盗や放火で捕まっている人も、すべて状況次第で自分がなっていた可能性のある姿と捉える。天地の間には、その意味ではあらゆる可能性を孕んだ存在としての「一人」しかいないというのだ。この考え方は、まさに瞑想によってあらゆる人格を体験できる、という自信に裏打ちされているのである。チベット密教などでは「地獄」も「餓鬼」も「畜生」も、みなアーラヤ識に潜む自己の姿として体験するための瞑想を重視する。 。。。玄侑宗久『私だけの仏教』p099
渡り知りあなた知りたしわれ故に 仁
われに在らざるものはなければ
以上、
☆☆☆ xyw0901 蒼い旅人さん『 な・ん・と・な・く~ 』 への交心の転載です。!!! ★★★
♭♭♭ https://smcb.jp/diaries/8463648
> もうひとりの自分というのは、命の根源につながる存在です。
<命の根源>につながるの命の根源を、ぼくは、「母の胎内」と考えています。
「始まる」は、「女」と「台」からできています。「女」と「台」は「母胎」でしょう。
もう一つ、「宇宙」という母胎です。
宇宙は森羅万象の産みの母です。
宇宙から誕生する森羅万象は、だから、全て、同根で、同胞です。
ぼく自身も、ぼく自心も、宇宙の同胞です。
「ぼく自身」は、森羅万象とのめぐり会いによって形成された「自己意識」「自意識」で形成されたもので、「めぐり会い=縁」が変われば、「ぼく自身」も変わります。
もうひとりの自分の「ぼく自心」は、宇宙という母胎から誕生したぼくという命で、森羅万象と同胞ですから、その命の根源において、森羅万象とつながり合い、共鳴・共振し合っています。
森羅万象の「心」とぼく自心の「心」は、宇宙という根源的な母胎から生まれたものは、根源的な深い絆でつながりあっています。
相互に、理解し合い、了解し合っているのです。
花見ればいわれなけれど花心 仁
鳥に会いたし鳥心になる
畑を耕していると、よく、ジョウビタキが飛んできます。
尻尾フリフリ、近づいてきます。
もう何年も、はたけ耕しは、ぼくには、特別な、楽しみの一つになっています。
「ジョビ、ジョビ」と呼びかけると、立ち止まり、尻尾を振り振り、ぼくの様子をうかがいながら、近づいてきます。ぼくがさらに心を開いて、「ジョビ、ジョビ」と呼ぶと、もっと近づいてきます。
そのかん、ぼくは、いろいろ、ジョビ君に話しかけます。
ジョウビタキソーハムソーハムあそばんか 仁
心開けば天地も開く
*🍀* ゚゚゚・。。♣。。・゚゚゚ 🍀 青柳仁リンク 🍀 ゚゚゚・。。♣。。・゚゚゚ *🍀*
★★★ 一休さんをあそぶ575yzr3001『 人に会う己に習う蛇苺 』 へどうぞ!!! ★★★
★★★ 瘋癲老仁妄句130-01『 喜びの友と成り行く冬の虫 』hrz08 へどうぞ!!! ★★★
♪♪♪ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=678643755&owner_id=4521611
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もうひとりの自分というのは、命の根源につながる存在ですから、みんなそこから始まって、そこへ帰るものです。みんなそこへ行きたがっています。
そこは命の故郷。
> 「この世」では、私とあなたは別人であり、路傍の石ころや空飛ぶジェット機は、それぞれ別個の独立した物体であり、太陽や月は、私とは無関係な、はるか彼方にある天体です。ところが、「あの世」では、私はあなたであり、同時に石ころでもジェット機でもあり、また太陽や月、さらにはアンドロメダ大星雲でもあるのです。〔天外〕―― 。。。天下伺朗『理想的な死に方』p169
いろんな人が、いろんな言い方をして、そこの話をしていますけれど、一休さんはそこで生きている人を面目坊と呼んでいます。命のあるがまんまを受け容れて、歓喜して生きていける人です。愛に溢れている人です。
一休さんと森女さんの恋を、ぼくは言葉あそびで、<恋弥勒>と呼んでいます。
ぼくは言葉あそびでそんな人たちとめぐり逢い、交心して、自然を分かちあい、歓喜も悲哀も共振し合える次元の世界をあそんでいるに過ぎませんけれど・・・
> ――宇宙は二重構造になっており、私たちがよく知っている物質的な宇宙(この世=明在系)の背後に、もうひとつの目に見えない宇宙(あの世=暗在系)が存在します。「あの世」には「この世」のすべての物質、精神、時間、空間などが全体としてたたみ込まれており、分離不可能です。〔ボーム〕―― 。。。天下伺朗『理想的な死に方』p166
この世界は眼に見える世界と、眼に見えない世界が、重なり合って存在しているといいます。物がプラスとマイナスで反発し合い、引きつけ合って存在しているように、愛にもプラスとマイナスがあり、また見える愛と見えない愛があるのでしょう。
宇宙の根源的なエネルギーは愛、秩序と調和だと、ぼくは念います。
その根源的な宇宙からわたしたちは誕生しているのです。
<本当の自分に恋をして幾度振られたか解りません>を<本当の自分に恋をして、宇宙の愛を受信できるようになったら、人間だけではなく、草木も動物も海も空も愛することができるようになりました>といえる言葉あそびをはじめてみませんか・・・
> > ――諸君!
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> 禅では「乾坤只一人」と云い、例えば新聞紙上に登場するすべての人々、何かで表彰されている人も、殺人や窃盗や放火で捕まっている人も、すべて状況次第で自分がなっていた可能性のある姿と捉える。天地の間には、その意味ではあらゆる可能性を孕んだ存在としての「一人」しかいないというのだ。この考え方は、まさに瞑想によってあらゆる人格を体験できる、という自信に裏打ちされているのである。チベット密教などでは「地獄」も「餓鬼」も「畜生」も、みなアーラヤ識に潜む自己の姿として体験するための瞑想を重視する。 。。。玄侑宗久『私だけの仏教』p099
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> もうひとりの自分というのは、命の根源につながる存在です。
<命の根源>につながるの命の根源を、ぼくは、「母の胎内」と考えています。
「始まる」は、「女」と「台」からできています。「女」と「台」は「母胎」でしょう。
もう一つ、「宇宙」という母胎です。
宇宙は森羅万象の産みの母です。
宇宙から誕生する森羅万象は、だから、全て、同根で、同胞です。
ぼく自身も、ぼく自心も、宇宙の同胞です。
「ぼく自身」は、森羅万象とのめぐり会いによって形成された「自己意識」「自意識」で形成されたもので、「めぐり会い=縁」が変われば、「ぼく自身」も変わります。
もうひとりの自分の「ぼく自心」は、宇宙という母胎から誕生したぼくという命で、森羅万象と同胞ですから、その命の根源において、森羅万象とつながり合い、共鳴・共振し合っています。
森羅万象の「心」とぼく自心の「心」は、宇宙という根源的な母胎から生まれたものは、根源的な深い絆でつながりあっています。
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