「しゃくやく塚」と並んで同じ道沿いにある記念碑。有名な明治時代の作詞家さんのこと。
ご先祖が当地出身な縁で、碑を建てたという。(まあ、やらないより、やる町おこしの方がいいよね。)
ちなみにこの碑が立ち並ぶ道は、その昔に足助中心部まで電車を通すための線路用地だった。が肝心の駅予定地が買収できず計画倒れになった後、生活道路として使われている。
もしも開通していたら、この辺りに「しゃくやく」か「雨情」にちなんだ名の駅が建っていたかも・・・
ご先祖が当地出身な縁で、碑を建てたという。(まあ、やらないより、やる町おこしの方がいいよね。)
ちなみにこの碑が立ち並ぶ道は、その昔に足助中心部まで電車を通すための線路用地だった。が肝心の駅予定地が買収できず計画倒れになった後、生活道路として使われている。
もしも開通していたら、この辺りに「しゃくやく」か「雨情」にちなんだ名の駅が建っていたかも・・・
あすけちょうと呼ぶんですね
此処は、三州街道の塩の道のへんあたりみたいね、
愛知県豊田市に合併とは、やっぱり、ここも人が少ないんですかー。。
このように、野口雨情の石碑でも建てて町おこししないと,、、、駅が出来てたら、きっと過疎にならなかったかもしれませんね
今も「野口」という地名が残っており、これが苗字の由来らしいです。
ちなみに足助町は現在、豊田市に合併され一地区になってますが、「香嵐渓」という紅葉狩りで有名な名所があり、観光シーズンは大変にぎわってますよ。
地元なのに、はずかしーーー
野口ってあるから、もしかして、また
会津に来たのかしらと思ったわ~~
野口英夫ゆかりの地なんてね
でもよく読んで見たら違いましたね
あはっ!
あの~そして恥ずかしいんですが
この足助って、どこにあるのでしょうか?
歴史に疎い私です、、
教えてください
シャクヤクって華やかだけど憂いがある花ですね