こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
今日は遅帰りで明日は早起きなので、
正直、食事に困ってます(笑)
あまり食べると痩せにくくなる。
食べないと空腹で眠れない。
これを上手く満たさないといけないわけで。
というわけで、今日はバナナにしました。
明日はちゃんと眠りたいです。

今日も皆様、ありがとうございます。
今日は遅帰りで明日は早起きなので、
正直、食事に困ってます(笑)
あまり食べると痩せにくくなる。
食べないと空腹で眠れない。
これを上手く満たさないといけないわけで。
というわけで、今日はバナナにしました。
明日はちゃんと眠りたいです。
紫陽花の花(東京都墨田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「私の人生、無駄だらけなのかなぁ…?」という疑問、持ったことはありませんか。
私はあります。
苦しかったです。
だから、そんな疑問をお持ちの方に、お答えしていこうと思います。
☆ ☆ ☆ ☆
まず、質問です。
それは、「なぜ、無駄があってはいけないのですか!?」ということ。
「無駄」というからには、浪費をする対象、あるいは失ったものがあるわけですよね。
だから、無駄だと落ち込むことにもなるのです。
でも、冷静に考えてみましょう。
人生に絶対必要なものって、一体なんなのでしょうか。
あるいは、「意味のない人生」とか「無駄のない」って、どんな人生なのでしょうか。
どうも私達は、「無駄の削減」という言葉に弱いようです。
選挙でもなんでも、それは証明されていますよね(笑)
結論から言いましょう。
本当は、自分のしてきたことが無駄かどうかは、絶えず変わっているのです。
たとえば、テストの勉強をしたとしましょう。
そして、嫌いな教科だったけど、ヤマが当たった。
すると、この時点では「テスト勉強をしたのは無駄ではなかった」ということになります。
でも、嫌いなものは嫌いですから、将来的に考えれば、そんな教科の分野に進むことは考えにくいですよね。
ということは、「やっぱり嫌いな教科の勉強なんて無駄だ」ということになる。
それでも、「苦手な分野に立ち向かう」ということは、人生ではわりとあること。
心構えだって、ないよりあったほうが断然いいでしょう。
ということは、「やっぱり勉強は無駄じゃなかった」という話になります。
どうですか!?
ことほどさように、「無駄だったかどうか」は、どこに視点を置くかで変わるものなのです。
いましがた無駄としか思えなくても、ある瞬間に意味を見いだせるかもしれません。
あるいは、無駄を嫌う思考が、かえって遠回りや無駄を生み出すこともあるのです。
「無駄」というのは、「まだ価値や意味がわかっていないだけ」という状態でしかありません。
無駄は無駄でも、ずっと無駄であり続けるわけでもありません。
もちろん、虚しい気持ちになることは誰しもあると思いますが、
以上を踏まえると、それはそれで、虚しさままでいいのかもしれません。
人生の無駄、大いに結構。
無駄なら無駄で、熟成するまで待てばよいのです。
それが無駄かも忘れるくらいに。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「私の人生、無駄だらけなのかなぁ…?」という疑問、持ったことはありませんか。
私はあります。
苦しかったです。
だから、そんな疑問をお持ちの方に、お答えしていこうと思います。
☆ ☆ ☆ ☆
まず、質問です。
それは、「なぜ、無駄があってはいけないのですか!?」ということ。
「無駄」というからには、浪費をする対象、あるいは失ったものがあるわけですよね。
だから、無駄だと落ち込むことにもなるのです。
でも、冷静に考えてみましょう。
人生に絶対必要なものって、一体なんなのでしょうか。
あるいは、「意味のない人生」とか「無駄のない」って、どんな人生なのでしょうか。
どうも私達は、「無駄の削減」という言葉に弱いようです。
選挙でもなんでも、それは証明されていますよね(笑)
結論から言いましょう。
本当は、自分のしてきたことが無駄かどうかは、絶えず変わっているのです。
たとえば、テストの勉強をしたとしましょう。
そして、嫌いな教科だったけど、ヤマが当たった。
すると、この時点では「テスト勉強をしたのは無駄ではなかった」ということになります。
でも、嫌いなものは嫌いですから、将来的に考えれば、そんな教科の分野に進むことは考えにくいですよね。
ということは、「やっぱり嫌いな教科の勉強なんて無駄だ」ということになる。
それでも、「苦手な分野に立ち向かう」ということは、人生ではわりとあること。
心構えだって、ないよりあったほうが断然いいでしょう。
ということは、「やっぱり勉強は無駄じゃなかった」という話になります。
どうですか!?
ことほどさように、「無駄だったかどうか」は、どこに視点を置くかで変わるものなのです。
いましがた無駄としか思えなくても、ある瞬間に意味を見いだせるかもしれません。
あるいは、無駄を嫌う思考が、かえって遠回りや無駄を生み出すこともあるのです。
「無駄」というのは、「まだ価値や意味がわかっていないだけ」という状態でしかありません。
無駄は無駄でも、ずっと無駄であり続けるわけでもありません。
もちろん、虚しい気持ちになることは誰しもあると思いますが、
以上を踏まえると、それはそれで、虚しさままでいいのかもしれません。
人生の無駄、大いに結構。
無駄なら無駄で、熟成するまで待てばよいのです。
それが無駄かも忘れるくらいに。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
読者の皆さんからすれば、このブログ、コメントしずらいブログだと思います。
そりゃそうですよね、堅苦しい話があるだけでなく、筆者も筆者で、気難しそうなイメージするのではないでしょうか。
でもまあ、私は本当に好きなんですよ、このブログが。
その証拠に、コメントが全くつかない3年くらい前の時期から、ずっと同じスタイルでやっているんです。
だからこそ続いているし、もっと言うと、人の評価を気にしていたら、やりたいことはできません。
…とまあ、写真が好きで来てくださる方のために「壁紙のページ」を置いている他は、
かなり好き勝手にやっているんです。
でも、最近、特に目に見えてアクセス数が増えたこと、本当に不思議でもあり、ありがたい話だとも思っています。
読者の皆さんの求めるものはわかりませんが、これからも出来る限りのことはしていこうと思います。

今日も皆様、ありがとうございます。
読者の皆さんからすれば、このブログ、コメントしずらいブログだと思います。
そりゃそうですよね、堅苦しい話があるだけでなく、筆者も筆者で、気難しそうなイメージするのではないでしょうか。
でもまあ、私は本当に好きなんですよ、このブログが。
その証拠に、コメントが全くつかない3年くらい前の時期から、ずっと同じスタイルでやっているんです。
だからこそ続いているし、もっと言うと、人の評価を気にしていたら、やりたいことはできません。
…とまあ、写真が好きで来てくださる方のために「壁紙のページ」を置いている他は、
かなり好き勝手にやっているんです。
でも、最近、特に目に見えてアクセス数が増えたこと、本当に不思議でもあり、ありがたい話だとも思っています。
読者の皆さんの求めるものはわかりませんが、これからも出来る限りのことはしていこうと思います。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
最近、迷惑メールが増えたので、「メール受信中」のマークが出るとウンザリすることが多いです。
でも、さっき、友達からメールが来て、いろいろ嬉しいことも書いてあったので、
久しぶりにメールを見ていい気分になりました。
私はあんまりメールをするほうじゃないんですが、やっぱり受信するなら嬉しいものが多いほうがいいですよね(笑)

今日も皆様、ありがとうございます。
最近、迷惑メールが増えたので、「メール受信中」のマークが出るとウンザリすることが多いです。
でも、さっき、友達からメールが来て、いろいろ嬉しいことも書いてあったので、
久しぶりにメールを見ていい気分になりました。
私はあんまりメールをするほうじゃないんですが、やっぱり受信するなら嬉しいものが多いほうがいいですよね(笑)
バラの花(東京都墨田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
刃が研がれていないノコギリでは、いくら木を切ろうとしても、
なかなか上手く切ることは難しいですよね。
どうしてもそのノコギリで木を切りたいなら、研ぐこと抜きには無理なわけです。
これを踏まえると、上手くいかなかった時、原因や責任を外に求めるのは、あまり得策ではないということが言えるのではないでしょうか。
もちろん、納得がいかないこともあると思いますし、相手が至らないとか、環境が悪かったという場合もあるのは事実でしょう。
でも、「喧嘩両成敗」という言葉があるように、対人関係にせよ、ミッションにせよ、
「自分の側に1mmも責任がない場合」というのは、
なかなか探すのが難しいと思います。
別な言い方をすれば、せっかく改良点があるのに、それを放置しておくのは、もったいない話ではないでしょうか。
自分を磨くと、同じ問題に躓く回数が減ります。
それに、レベルの低いことに足を取られているのはもったいないことだと思いませんか。
冒頭のノコギリの例で考えれば、磨かなければいつまでも木が切れないままですが、
磨きさえすれば、それだけ多くの木を加工することができます。
それと同じです。
つまり、人のせいにするのは構いませんが、同じような人が来た時、また同じようなことに煩わされてしまうのです。
仕事で言えば、ちょっとの勉強を怠ったがために、自ら苦手分野を増やすことになります。
恋愛で言えば、自分の心を磨かない限り、同じ問題を起こすか、同じような相手に煩わされるかのどちらかになります。
(ちなみに、「失恋しても自分の悪かったところを考えないで下さい」というアドバイスをする人、
ひどい人になると「自分のせいにする人は恋愛の適性がない」とまで言う人がいますが、
長い目で見れば間違えなのは明らかですよね)。
同じように、趣味でも、生活でも、向上することができない。
向上しないと、いつまでも同じことで躓く。
永遠に同じことで苦しむということは、すなわち地獄にいるも同然だと思うのです。
どうせ苦しむなら、よりレベルの高い問題で苦しむほうが得です。
いつまでも同じレベルでぐるぐる回るのは、しんどくてとても耐えられるものではありません。
それに、より高いレベルで考えるということは、そのレベルより下の問題は解決され、自分の実になる部分も大きくなります。
それなばら、結果的に成長できなかったとしても、低いレベルを抜け出す努力はしていていいのではないでしょうか。
壁にブチ当たるというのは、「もう少し自分を磨きませんか」というシグナルのようなもの。
なんでもかんでも、あてずっぽうに立ち向かえば報われるとは限らないのです。
ゆっくりじっくり、心や技能を磨くのも、問題を解決する方法の一つなんですよ。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
刃が研がれていないノコギリでは、いくら木を切ろうとしても、
なかなか上手く切ることは難しいですよね。
どうしてもそのノコギリで木を切りたいなら、研ぐこと抜きには無理なわけです。
これを踏まえると、上手くいかなかった時、原因や責任を外に求めるのは、あまり得策ではないということが言えるのではないでしょうか。
もちろん、納得がいかないこともあると思いますし、相手が至らないとか、環境が悪かったという場合もあるのは事実でしょう。
でも、「喧嘩両成敗」という言葉があるように、対人関係にせよ、ミッションにせよ、
「自分の側に1mmも責任がない場合」というのは、
なかなか探すのが難しいと思います。
別な言い方をすれば、せっかく改良点があるのに、それを放置しておくのは、もったいない話ではないでしょうか。
自分を磨くと、同じ問題に躓く回数が減ります。
それに、レベルの低いことに足を取られているのはもったいないことだと思いませんか。
冒頭のノコギリの例で考えれば、磨かなければいつまでも木が切れないままですが、
磨きさえすれば、それだけ多くの木を加工することができます。
それと同じです。
つまり、人のせいにするのは構いませんが、同じような人が来た時、また同じようなことに煩わされてしまうのです。
仕事で言えば、ちょっとの勉強を怠ったがために、自ら苦手分野を増やすことになります。
恋愛で言えば、自分の心を磨かない限り、同じ問題を起こすか、同じような相手に煩わされるかのどちらかになります。
(ちなみに、「失恋しても自分の悪かったところを考えないで下さい」というアドバイスをする人、
ひどい人になると「自分のせいにする人は恋愛の適性がない」とまで言う人がいますが、
長い目で見れば間違えなのは明らかですよね)。
同じように、趣味でも、生活でも、向上することができない。
向上しないと、いつまでも同じことで躓く。
永遠に同じことで苦しむということは、すなわち地獄にいるも同然だと思うのです。
どうせ苦しむなら、よりレベルの高い問題で苦しむほうが得です。
いつまでも同じレベルでぐるぐる回るのは、しんどくてとても耐えられるものではありません。
それに、より高いレベルで考えるということは、そのレベルより下の問題は解決され、自分の実になる部分も大きくなります。
それなばら、結果的に成長できなかったとしても、低いレベルを抜け出す努力はしていていいのではないでしょうか。
壁にブチ当たるというのは、「もう少し自分を磨きませんか」というシグナルのようなもの。
なんでもかんでも、あてずっぽうに立ち向かえば報われるとは限らないのです。
ゆっくりじっくり、心や技能を磨くのも、問題を解決する方法の一つなんですよ。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
早いもので、一人暮らしを始めて、今日で6年目を迎えました。
いろいろありましたが、たくさん成長できたんじゃないかと自分では思っています。
そして、その根幹のひとつが、この「青裸々日記」でした。
読者の皆様にも、私の毎日を支えられている部分はあると思います。
この場を借りて、お礼申し上げます。

今日も皆様、ありがとうございます。
早いもので、一人暮らしを始めて、今日で6年目を迎えました。
いろいろありましたが、たくさん成長できたんじゃないかと自分では思っています。
そして、その根幹のひとつが、この「青裸々日記」でした。
読者の皆様にも、私の毎日を支えられている部分はあると思います。
この場を借りて、お礼申し上げます。
あじさいの花(東京都墨田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
先日、とんでもない話を聞きました。
「結婚指輪は給料の3ヶ月分が相場なのに、安いものを渡された。こんな旦那とはやっていけると思えない」などと、
心情を「吐露」している女の方がいたのです。
もっとも、結婚指輪くらいで文句を並べる人なら、その後も些細なことで揉める可能性が大ですから、
そんな人は、こちらから願い下げしたほうが懸命でしょう。
それに、すくなくとも「結婚まで考えた相手」と、「指輪の相場」が天秤に掛けられること自体、
かなり変な話だと思いませんか。
一体、何がそんなに「相場」を崇拝する理由になるのか、疑問でなりませんよね。
でもこれ、笑ってばかりはいられない話なのです。
私達は、人知れず「相場」を考え、行動しているものです。
一応、おさらいしておきますが、「こういう時にはこういうことを返せば、たいてい釣り合いが取れる」というのが、人間関係における「相場」です。
そして、「相場」というのは、失礼のないように振る舞ったり、相手を傷つけないために必要なことです。
ただし。
この「相場」というのは、人によって違うものです。
いい例が結婚生活でしょう。
お互いにそれまで育ってきたルールが違うのですから、それまで解決できてきたことも、通用しないことが出てきます。
だからこそ、結婚を長続きさせる秘訣として、「相手を変えようとしない」とか「相手に期待しない」ということが、よく言われるわけです。
これ、実は「人間関係の相場」にも、全く同じことが言えるのではないでしょうか!?
「世間ではこれくらいが相場だと言われている」といくら聞かせたところで、
言われた本人からすれば、「それまでは正解とされてきたやり方」をやっているだけのことですから、
すぐに納得できるわけがないのです。
反対に、言われた側は言われた側で、「自分はこれが正しいと思うから」と頑として話を聞かないのではなく、
「こういう感覚の人もいるんだな」と、受け入れる柔軟性が必要なのです。
ここらへんが分かっていない人は、いつか「結婚指輪の人」のようになるのです。
「こういう時にはこういうことを」と言っても、なかなか通用しないことがあります。
もちろん、それはそれで、もっともなことを言っているのかもしれません。
しかし、相手が相手であれば、「常識」が偏っていたりすると、すぐに納得できないこともあるのです。
世間と歩調を合わせることにこだわると、人を失うことにもなりかねません。
だからこそ、「相場」というものからは、ある程度の距離を置いたほうがよいのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
先日、とんでもない話を聞きました。
「結婚指輪は給料の3ヶ月分が相場なのに、安いものを渡された。こんな旦那とはやっていけると思えない」などと、
心情を「吐露」している女の方がいたのです。
もっとも、結婚指輪くらいで文句を並べる人なら、その後も些細なことで揉める可能性が大ですから、
そんな人は、こちらから願い下げしたほうが懸命でしょう。
それに、すくなくとも「結婚まで考えた相手」と、「指輪の相場」が天秤に掛けられること自体、
かなり変な話だと思いませんか。
一体、何がそんなに「相場」を崇拝する理由になるのか、疑問でなりませんよね。
でもこれ、笑ってばかりはいられない話なのです。
私達は、人知れず「相場」を考え、行動しているものです。
一応、おさらいしておきますが、「こういう時にはこういうことを返せば、たいてい釣り合いが取れる」というのが、人間関係における「相場」です。
そして、「相場」というのは、失礼のないように振る舞ったり、相手を傷つけないために必要なことです。
ただし。
この「相場」というのは、人によって違うものです。
いい例が結婚生活でしょう。
お互いにそれまで育ってきたルールが違うのですから、それまで解決できてきたことも、通用しないことが出てきます。
だからこそ、結婚を長続きさせる秘訣として、「相手を変えようとしない」とか「相手に期待しない」ということが、よく言われるわけです。
これ、実は「人間関係の相場」にも、全く同じことが言えるのではないでしょうか!?
「世間ではこれくらいが相場だと言われている」といくら聞かせたところで、
言われた本人からすれば、「それまでは正解とされてきたやり方」をやっているだけのことですから、
すぐに納得できるわけがないのです。
反対に、言われた側は言われた側で、「自分はこれが正しいと思うから」と頑として話を聞かないのではなく、
「こういう感覚の人もいるんだな」と、受け入れる柔軟性が必要なのです。
ここらへんが分かっていない人は、いつか「結婚指輪の人」のようになるのです。
「こういう時にはこういうことを」と言っても、なかなか通用しないことがあります。
もちろん、それはそれで、もっともなことを言っているのかもしれません。
しかし、相手が相手であれば、「常識」が偏っていたりすると、すぐに納得できないこともあるのです。
世間と歩調を合わせることにこだわると、人を失うことにもなりかねません。
だからこそ、「相場」というものからは、ある程度の距離を置いたほうがよいのです。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
湿気のあるこの時期、カメラやレンズのメンテナンスにも気をつかいます。
カメラやレンズは、湿気に必ずしも強くないので、
部屋に専用の箱を用意し、吸湿剤を入れているんです。
写真は生き甲斐なので、こういうものはしっかり管理するわけです。
それでもやめられないのが写真なんですけどね(笑)

今日も皆様、ありがとうございます。
湿気のあるこの時期、カメラやレンズのメンテナンスにも気をつかいます。
カメラやレンズは、湿気に必ずしも強くないので、
部屋に専用の箱を用意し、吸湿剤を入れているんです。
写真は生き甲斐なので、こういうものはしっかり管理するわけです。
それでもやめられないのが写真なんですけどね(笑)
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
おかげさまで、今日は元気でした。
昨日の今頃は偏頭痛でウーウーうなされていたので、
普通に立って歩いているだけで感動でした。
いや、本当に。
偏頭痛は漢方療法で減らせるという話もあるようなので、考えてみます。
何気ないことに幸せを感じた一日でした!

今日も皆様、ありがとうございます。
おかげさまで、今日は元気でした。
昨日の今頃は偏頭痛でウーウーうなされていたので、
普通に立って歩いているだけで感動でした。
いや、本当に。
偏頭痛は漢方療法で減らせるという話もあるようなので、考えてみます。
何気ないことに幸せを感じた一日でした!
あじさいの花(東京都墨田区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「はしごを外す」という言葉があります。
「あなたなら出来るよ、大丈夫だよ」
「才能があるんだから、なんとかなる。やってみな!」
こういう激励は嬉しいものです。
誰だって、新しくものを始めるのは不安が付き物ですし、だからこそ、ちょっとは自信を持ちたいと思うもの。
ただ、この後、どうしてか余計な一言を言ってしまう人が後をたちません。
応援した相手がいざ重い腰を上げたところで、「大変だと思うけど、失敗を恐れずにがんばって下さい」と言うわけです。
これ、煽るだけ煽っておいて、後から防衛線を張っているようにも聞こえませんか。
もちろん激励とはわかるのですが、意外に傷つく言葉でもあるわけです。
もう少し、考えてみましょう。
「大変なこと」、「失敗が怖いこと」、「がんばること」というのは、新しくチャレンジする人の前に立ちはだかる壁のようなものです。
でも、「大変なこと」なども、「あなたなら大丈夫だよ」と激励をされたからこそ、
相手も挑戦してみようと思ったわけです。
そこを、「大変だと思うけど」などと言うのは、「やっぱり応援、やーめた」という聞こえ方になってしまいかねません。
すいませんね、かなり細かい話でした(笑)
「いちいちそこまで考えて言ったりしないよ」という方も、かなりいらっしゃると思います。
でも。
でも、です。
どこかで防衛線を張るようなことを言ってしまうのには、やはり理由があるのです。
先に「誰しも新しいことは怖い」と書きましたが、人に挑戦させることで、自分のチャレンジ精神を満たすわけです。
自分が怖いから、人にやらせることで、あたかも自分がチャレンジしているように勘違いができるわけです。
大袈裟に言えば、自分の勇気のなさや劣等感を、人で晴らしているようなものです。
しかし、「煽っておいて防衛線を張るのは酷い」と言うのは簡単ですが、
現実には、多かれ少なかれ、みんなやっているものです。
もう一度書きますが、世の中、みんな新しいことは怖いし、劣等感を持った人もいっぱいいます。
かい摘まんで言えば、「防衛線なしに応援する人はそうそういない」のです。
ここまで書くと、「人の応援にはケチをつけましょう」と言っているように聞こえると思いますが、
話を逆に考えてみましょう。
そもそも、「人の応援がないとできない」というのは、人に対して依存的だからこその考えではないでしょうか!?
人の後押しが心に響くことは否定しませんが、
「誰かの後押し」がすべてを決定づけるなら、やりたくないことも「やってみたら?」と言われただけでやることになるし、
やりたいことも「やめたほうがいいよ」と、ちょっと言われただけでやめることになってしまいます。
応援も何も、人の言っていることです。
それをどう受け取るかは、あくまで自分の自由。
どんな言葉も自分の好きなように受け取ることで、
たとえはしごを外されても「そういうものだ」と思えれば、相手の真心もわかるのです。
応援は応援、ありがたいものですが、まさかその相手が自分の責任を取ってくれるわけでもなければ、責任を背負われても敵わないでしょう。
もっと自由にしていてよいのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「はしごを外す」という言葉があります。
「あなたなら出来るよ、大丈夫だよ」
「才能があるんだから、なんとかなる。やってみな!」
こういう激励は嬉しいものです。
誰だって、新しくものを始めるのは不安が付き物ですし、だからこそ、ちょっとは自信を持ちたいと思うもの。
ただ、この後、どうしてか余計な一言を言ってしまう人が後をたちません。
応援した相手がいざ重い腰を上げたところで、「大変だと思うけど、失敗を恐れずにがんばって下さい」と言うわけです。
これ、煽るだけ煽っておいて、後から防衛線を張っているようにも聞こえませんか。
もちろん激励とはわかるのですが、意外に傷つく言葉でもあるわけです。
もう少し、考えてみましょう。
「大変なこと」、「失敗が怖いこと」、「がんばること」というのは、新しくチャレンジする人の前に立ちはだかる壁のようなものです。
でも、「大変なこと」なども、「あなたなら大丈夫だよ」と激励をされたからこそ、
相手も挑戦してみようと思ったわけです。
そこを、「大変だと思うけど」などと言うのは、「やっぱり応援、やーめた」という聞こえ方になってしまいかねません。
すいませんね、かなり細かい話でした(笑)
「いちいちそこまで考えて言ったりしないよ」という方も、かなりいらっしゃると思います。
でも。
でも、です。
どこかで防衛線を張るようなことを言ってしまうのには、やはり理由があるのです。
先に「誰しも新しいことは怖い」と書きましたが、人に挑戦させることで、自分のチャレンジ精神を満たすわけです。
自分が怖いから、人にやらせることで、あたかも自分がチャレンジしているように勘違いができるわけです。
大袈裟に言えば、自分の勇気のなさや劣等感を、人で晴らしているようなものです。
しかし、「煽っておいて防衛線を張るのは酷い」と言うのは簡単ですが、
現実には、多かれ少なかれ、みんなやっているものです。
もう一度書きますが、世の中、みんな新しいことは怖いし、劣等感を持った人もいっぱいいます。
かい摘まんで言えば、「防衛線なしに応援する人はそうそういない」のです。
ここまで書くと、「人の応援にはケチをつけましょう」と言っているように聞こえると思いますが、
話を逆に考えてみましょう。
そもそも、「人の応援がないとできない」というのは、人に対して依存的だからこその考えではないでしょうか!?
人の後押しが心に響くことは否定しませんが、
「誰かの後押し」がすべてを決定づけるなら、やりたくないことも「やってみたら?」と言われただけでやることになるし、
やりたいことも「やめたほうがいいよ」と、ちょっと言われただけでやめることになってしまいます。
応援も何も、人の言っていることです。
それをどう受け取るかは、あくまで自分の自由。
どんな言葉も自分の好きなように受け取ることで、
たとえはしごを外されても「そういうものだ」と思えれば、相手の真心もわかるのです。
応援は応援、ありがたいものですが、まさかその相手が自分の責任を取ってくれるわけでもなければ、責任を背負われても敵わないでしょう。
もっと自由にしていてよいのです。
こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
昨日からの偏頭痛、安静に横たわるぐらいしか出来なかったのですが、
一晩中じっとした結果、現在は小康状態を保っています。
まだ後頭部に鈍痛があるほか、頭を上げ下げするとツラいのですが、
これも治していけそうです。
いやー、毎度ながら、本当に凄まじかったです。
しっかり心を伝えるためにも、文章を書くコンディションは整えておきたいですね。
ご心配くださった皆様、すいませんでした。
またがんばります。

今日も皆様、ありがとうございます。
昨日からの偏頭痛、安静に横たわるぐらいしか出来なかったのですが、
一晩中じっとした結果、現在は小康状態を保っています。
まだ後頭部に鈍痛があるほか、頭を上げ下げするとツラいのですが、
これも治していけそうです。
いやー、毎度ながら、本当に凄まじかったです。
しっかり心を伝えるためにも、文章を書くコンディションは整えておきたいですね。
ご心配くださった皆様、すいませんでした。
またがんばります。