自然動物園のレッサーパンダ(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
誰だって、自分が苦労して作ったものは可愛く見えるものです。
小さい頃を思い出していただくと、男の子ならプラモデル、女の子ならお人形さんを作ったりするものですが、
自分で一生懸命作ればこそ、思い入れもあれば、愛着もわき上がったと思うんです。
友達に自慢したくなった人もいるでしょう。
しかし。
プラモデルなりお人形さんならいざ知らずとも、自分の作ったもの引き金になって災難が起こったら、
たとえ自分が作ったものであろうと、嫌いになることだってありえます。
ちょっと例えが過激かもしれませんが、
「あの人も寒いだろうから」と手編みのマフラーをプレゼントして、
毎日丁寧に、あったかそうに使ってもらえればよいのですが、
自殺する道具にされてしまったら、
作った本人だって、どう間違えてもいい気分はしませんよね。
つまり、極論を言えば、使う人に認識がなかったら、世の中のすべてのモノは凶器になりえるのです。
…ということは、どこかでボタンを掛け違えれば、人間自身が危険な存在になることもあるし、
そこまでいかなくとも、人を傷つけるようなことをしです可能性はある、ということなんです。
そして、そうならないためには、自分に命を授け、作ってくれた人の気持ちを考えることがなにより大切なのです。
あるいは、自分自身が幸せでいることも大事なことです。
苦労して育てても、「不平不満ばかりで生きているのが苦しい」となれば、
育てた側からすれば、「自分たちが注いだものはなんだったのか」という気持ちにもなりかねません。
立派に人の役に立つとか、毎日笑顔で元気にがんばるとか、
そういう張り合いがあってこそ、生んだ甲斐も感じられるという気がするんです。
最後に、個人的な話をさせて下さい。
私は両親の期待に応えられたことは、一度もありません。
やっぱり不器用だし、取り柄もないほうだと思います。
独立してかなり経ちますが、そんな自分を、やっぱりいつも申し訳なく思っています。
でも、私なりに、出来ないなりに最大限はやってきました。
できないものはできないけど、どうせできないなら、できないなりにその中で少しでも最善を尽くすしかない。
そう思って、こんな自分でも人様の役に立つことがあればとやっている感じです。
まあ、「自分を生んだのは神様だ」という人もいるかもしれません。
しかし、生んでくれ人の気持ちに応えること、生きていることを幸せに思うこと、
それこそが、親孝行の形の一つではないかと、私は思うのです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
誰だって、自分が苦労して作ったものは可愛く見えるものです。
小さい頃を思い出していただくと、男の子ならプラモデル、女の子ならお人形さんを作ったりするものですが、
自分で一生懸命作ればこそ、思い入れもあれば、愛着もわき上がったと思うんです。
友達に自慢したくなった人もいるでしょう。
しかし。
プラモデルなりお人形さんならいざ知らずとも、自分の作ったもの引き金になって災難が起こったら、
たとえ自分が作ったものであろうと、嫌いになることだってありえます。
ちょっと例えが過激かもしれませんが、
「あの人も寒いだろうから」と手編みのマフラーをプレゼントして、
毎日丁寧に、あったかそうに使ってもらえればよいのですが、
自殺する道具にされてしまったら、
作った本人だって、どう間違えてもいい気分はしませんよね。
つまり、極論を言えば、使う人に認識がなかったら、世の中のすべてのモノは凶器になりえるのです。
…ということは、どこかでボタンを掛け違えれば、人間自身が危険な存在になることもあるし、
そこまでいかなくとも、人を傷つけるようなことをしです可能性はある、ということなんです。
そして、そうならないためには、自分に命を授け、作ってくれた人の気持ちを考えることがなにより大切なのです。
あるいは、自分自身が幸せでいることも大事なことです。
苦労して育てても、「不平不満ばかりで生きているのが苦しい」となれば、
育てた側からすれば、「自分たちが注いだものはなんだったのか」という気持ちにもなりかねません。
立派に人の役に立つとか、毎日笑顔で元気にがんばるとか、
そういう張り合いがあってこそ、生んだ甲斐も感じられるという気がするんです。
最後に、個人的な話をさせて下さい。
私は両親の期待に応えられたことは、一度もありません。
やっぱり不器用だし、取り柄もないほうだと思います。
独立してかなり経ちますが、そんな自分を、やっぱりいつも申し訳なく思っています。
でも、私なりに、出来ないなりに最大限はやってきました。
できないものはできないけど、どうせできないなら、できないなりにその中で少しでも最善を尽くすしかない。
そう思って、こんな自分でも人様の役に立つことがあればとやっている感じです。
まあ、「自分を生んだのは神様だ」という人もいるかもしれません。
しかし、生んでくれ人の気持ちに応えること、生きていることを幸せに思うこと、
それこそが、親孝行の形の一つではないかと、私は思うのです。