青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

パケ死、復活!?

2011年09月06日 23時10分09秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 スマートフォンの普及が、思わぬところで波紋を呼んでいるようです。

 昨日の発表によると、 ・スマートフォンの急激な増加で電波の送受信が桁違いに増え、
 携帯電話各社の通信機器が限界に達している
 ・その増加分を賄ったり、送受信量を抑制するためにはなんらかの策を講じなければならない

 …ということで、「使い放題プラン」を見直すことが検討されている模様です。


 ただ、消費者や携帯電話メーカーからは反発の声が挙がるのは必至で、
 今後の対応に注目が集まっています。



 …って、ニュースっぽく書きましたが本当の話です。
 おそらく「使い放題プラン」の値上げ→機器の増強が妥当な線かと思いますが、
 うーん、消費者にさんざん宣伝をしてこれだと、問題も起こる気がするんですよね。


 私はスマートフォンじゃないけど、
 とにかく、使い放題だけは残してほしいなあ。

桃栗三年、柿八年。

2011年09月06日 19時27分26秒 | 雑感、雑記
 こんにちはー。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 吐き出すものは吐き出さないと頭が腐り出すので、
 切れ味を良くするためにも、今日もブログに対する思い入れを語らせて下さい(笑)



 ☆ ☆ ☆


 毎日いろいろ書いてますが、実は私、そんなに強いほうではないんです。
 だからこそ、こんなにも前向きな投稿が多いのは、
 【自分にいい言葉を言い聞かせていないとすぐに潰れてしまう】という意味合いが強かったりします。
 ただ、それが文章を書く原動力になり、
 同じように前向きな言葉や考え方を必要としていたり、
 心のわだかまりを解くお手伝いが出来る要因になっているのもまた、事実だったりします。


 だからまあ、ぶっちゃけ「写真が綺麗なだけのブログ」で終わってちゃいけないし、
 誰にでも作れるようなブログを書いてちゃおしまいなんです。
 最終的にどうなろうと、自分の言葉で自分自身や人の心に火をともす努力をすることに意味があるので、
 「写真と文章があればなんでもいい」というわけではないんですね。


 もちろん文章で勝負するのは並大抵のことではありません。
 ただの「写真がステキなブログ」ならカメラがあればできるので簡単ですけど、
 「写真も文章も魅力的なブログ」って、生身の自分で勝負するしかないじゃないですか。
 でも、「文章力を育てる」って、ものすごく自覚もいるし、時間もかかることなんです。
 その証拠に、初期の文章なんかとても人に見せられるものではない。
 なぜなら、文章力は洞察力と表裏一体なので、
 眼力がない人がペンを持っても、適切な言葉を導くのは難しいからです。
 それでも伝えたいことを言葉にする努力、
 言い換えれば「なんとか自分の哲学を築き上げる努力」を諦めずにやってきた結果、
 現在のブログがあるわけです。

 …とまあ、よく言えばそうですが、
 自分の心を少しでも強くしたいというか、書き続けないとすぐにおかしくなってしまうので、
 必死にやっていたらいろいろわかってきた、というのが正直なところかもしれません。



 「反響…」とか「コメント…」とかは、その先の話。
 だいたい人に媚びるような話を書いても気持ちはよくないし、
 そもそも「強くない人間」が無駄なことにエネルギーを使っている余裕などないのです。


 それでも毎日、多くの方がいらして下さるのは、
 私にとってありがたい以外の何物でもありません。


 写真だけで終わるブログではないので、
 まだまだ至らない部分もあります。
 いつか私のやっていることが多くの人に理解されれば、
 そして、理解されるだけでなく実際に力にしてくれれば、
 これが私の夢です。


 文章の成長は遅いし、また写真のようにすぐ伝わるものではありませんから、
 どうしても写真のイメージが先行しがち。
 でも、「桃栗三年、柿八年」という言葉を励みに、
 より良いブログを目指したいのです。

〇〇層。

2011年09月06日 18時07分32秒 | 青裸々日記。
ホウセンカの花(千葉県夷隅郡御宿町)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「人間は無限の可能性を秘めている」
 「夢は大きく」

 どこかで耳にしたような話ですよね。
 しかし、現実には「敗者を分類する言葉」が数多く溢れています。
 たとえば「負け組」とか「売れ残り」、「〇〇世代」、「〇〇系人間」など、
 要は「個性を無視して人を分類した上に、悪いレッテルを貼るような言葉」、
 こんなものが新聞や雑誌、あるいは日常会話でも多く使われています。
 これでは、いくら「可能性の塊」と言ったって、
 毒されないほうがおかしいですよね。

 …というわけで、「いかに悪いレッテルを貼って、エネルギーを奪うような言葉に自分が囲まれているか」が分かれば、
 わざわざ自分から気力を奪うような気持ちにならなくてもいいわけです。



 そのうえで。


 環境が悪い。
 条件が整わない。
 力が足りない。

 このような「恵まれない人」はたくさんいます。
 しかし、「恵まれないにもかかわらず、事を成し遂げた人」がいるのも事実です。
 自分の不憫さをなげくのは自由ですが、
 なげきながらでも成功を掴んだ人はいるし、
 自分より悪い条件でも歩みを止めなかった人もいる。

 だったら、そんな人の足跡をたどってみないテはありません。
 往々にして、恵まれない条件で成功する影には、必ず人間の知恵があるのです
 不可能を可能にするのは知恵なのです
 そんな知恵を学んでこそ、自分の価値観や考え方をより良くする勉強になるし、
 なにより活力や希望がわいてきます。


 そこまで知れば、自分を取るに足らないレッテルを貼ることが、
 いかに無意味かがお分かりになると思うんです。
 あるいは、「あの人はこういう部類の人間だから」と人を見るほど、
 人に対する接し方もどこか高を括ったようなものになり、
 結果として、よい関係を築く妨げになってしまうのです。


 レッテルや色分けというのは、自分とは関係の薄い人に対してのみ有効な考え方で、
 自分自身や身近な人、結び付きの強い人に対してはなんの意味をなすものでもありません
 自分自身や結び付きの強い人であればこそ、見るべきは色分けではなく「人となりや個性」ではないでしょうか!?


 「自分は〇〇に属する人間だから」という理由で気力をなくすなら、それは大きな誤解です。
 最後に問われるのはその人自身、その個性自体だということ、
 これは揺るがない真実なのです。

国際線ターミナルから

2011年09月06日 06時09分54秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 コチラは海外の空港…ではありません(笑)

 久しぶりに羽田空港国際線ターミナルに行って、
 展望ラウンジの写真を撮ってきました。
 さすがにステキなムードで、それを演出すべく、
 わざとらしい位に低い露出で撮ったらこうなりました。
 ただ、これで正解だと勝手に思ってます(笑)


 私は一人でいるのが好きな人なのですが、
 飛行機に乗る用事がなくても、ここを知らない人を誘ってみると、
 結構喜んでもらえると思いますよ!


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