青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

東京大神宮

2010年03月06日 20時16分33秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 「縁結びの神様」と言われますが、
 参拝の主旨は感謝です。
 いかがわしいことはなんにもございません。

 やっぱり行ってスッキリしました。
 ありがたいものですね(^^*)/

〇向き一辺倒。

2010年03月06日 12時18分01秒 | 青裸々日記。
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私は「もっと人の好意を上手く受け取りなさい」と、
 アドバイスされてしまうことがあります。
 両親が用心深い性格だったからかマトモに褒められて育った覚えがないし、
 基本的に世の中なんてキレイゴトの世界だと教えられたんですね。
 だから世の中に真っ直ぐな善意なりもあると知ったのはつい最近だし、
 だからこそ知らなかったものは受け取りにくいわけです。
 しかも、善意を注がれ慣れていないので、
 善意というものに対する感度もズレていて、
 「善意なんて滅多に存在しない」と思えばこそ、
 人からの善意を「勘違い」してしまったりということもザラでした。


 コレは私の例ですが、
 物事を一面的にしか捉えられないってホントに危険だと思います。
 また前向き一辺倒、後ろ向き一辺倒に育てられたような人を見ると、
 私は危うさを感じることを禁じ得ません。


 「前向きに考えなさい」
 「悪意に取ってはいけません」
 「とにかく感謝していなさい」
 こういうような「教科書的な」叱咤激励や教育がいつの時代も飛び交っているわけですが、
 例えばなんらかの拍子で本人のココロが折れてしまったら、
 これまでの人生の観念が書き換えられてしまうわけですから、
 逆に抜け出せなくなってしまうと思うんです。


 だからこそ。

 誰かを育てたり、励ましたりする時は、
 すくなくとも2つ以上の見方を教えてあげるのが適切ではないかと私は思います。
 そのうえで、
 「こうにもこうも考えられるけど、どちらを取りますか!?」
 「まずはいろいろな考え方があることを知ってみませんか!?」
 こういう導き方をするほうが、
 きっと本当の意味で前向きになれると思うんです。
 つまり、前向きでいる姿勢と後ろ向きでいる姿勢があって、
 そのどちらを選ぶかは自分でできるんですよ
 こんな考え方を持っておくことがしなやかで強い精神を作るのではないかと私は思うのですが、
 いかがでしょうか。

淋しがり屋。

2010年03月06日 00時38分46秒 | 青裸々日記。
河津桜(神奈川県三浦市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 ハッキリ言って私はかなりの淋しがり屋です。
 だから独り言を吐いてしまうし、
 人に対して甘えてしまうこともあったりします。

 ただ、同じ「淋しがり屋」でも、
 以前はホントに悪質な「淋しがり屋」でした。
 例えば、
 ・自分がいかにかわいそうな存在か話して慰めてもらう
 ・「淋しがり屋じゃないんだけど…」と、実は淋しいくせに語り出す
 ・メールに対する執着が強い
 …とまあ、例を挙げればこの何倍も酷い「症状」が自分でも手に負えず、
 自己嫌悪に陥ったのはもちろん、
 人にも重たい空気を持ち込んだりして、
 困らせてしまったものでした。


 でも、最近は人に淋しさを埋めてもらう行為が、
 そこまで酷くなくなったんです。
 意外なようですが、
 「自分は淋しがり屋だ」とハッキリ認めてしまってからは、
 逆に淋しさがなくなった気がするんですね。


 以前は
 「淋しくない」
 「大丈夫だ」
 こんなことを言い聞かせていたわけですが、
 自分に嘘をつき続けてもいつかは爆発するわけです。
 だから「自分は淋しくなんかないやい!!」と突っ張っているつもりでも、
 人間は完璧ではありませんし、
 少しでも気を許した時に淋しさが爆発してしまう、
 こういうわけなんです。



 「自分の弱さを認められる人は強い」と言われます。
 コレは心に傷を負ったり、弱さが出てしまった人に掛ける慰めの言葉ですが、
 実は慰めの他にも
 「自分の弱さ加減を知っていれば抑制が効くから強い」という、
 なんとも現実的な意味が隠されていたりするんです。

 人間である以上、なんらかの弱さがあるのはあたりまえ。
 その弱さは隠すコトではなく、上手く扱うコトで、
 はじめて克服していけるのではないかと私は思うのです。

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