こんにちは。
10日が期限らしいです。
暑中見舞いのことです。
10日を過ぎると、「残暑見舞い」に変わります。
で、こういう挨拶を通じて、
ご縁なり絆なりを大切にしよう、という日本ならではのよい風習ですよね。
私は迷惑にならなそうな人にはだいたい送らせてもらいました。
もちろん形は様々。
メールの人もいれば、
かもめーるの人もいます。
結局、普段お世話になっていたり、
疎遠になってしまった人にこれまでの感謝とこれからもよろしくという挨拶をする機会というのは、
あるようでなかやかありません。
だから、こんな風習が大切なんですね。
機会が出来るなんてありがたいことです。
ぜひ皆さんも送ってみて下さい。
10日が期限らしいです。
暑中見舞いのことです。
10日を過ぎると、「残暑見舞い」に変わります。
で、こういう挨拶を通じて、
ご縁なり絆なりを大切にしよう、という日本ならではのよい風習ですよね。
私は迷惑にならなそうな人にはだいたい送らせてもらいました。
もちろん形は様々。
メールの人もいれば、
かもめーるの人もいます。
結局、普段お世話になっていたり、
疎遠になってしまった人にこれまでの感謝とこれからもよろしくという挨拶をする機会というのは、
あるようでなかやかありません。
だから、こんな風習が大切なんですね。
機会が出来るなんてありがたいことです。
ぜひ皆さんも送ってみて下さい。
こんにちは。
「努力していれば誰かが見ていてくれます。
だから希望を捨てないで下さい」
絶望に一筋の光を与えてくれる、
よい言葉です。
しかし、額面の通りに考えたり捉えたりする言葉でもないと思います。
少なくとも私は割り引いて考えています。
〇 〇 〇
頑張ったら報われるのは本当だと私は思います。
ミキサーに何も入れなければいくら回しても何も出来ませんが、
なにがしかのもの、例えばトマトならトマトジュース、
混ざりにくい2つ以上のものならそれらの混合物、
こんなものが出来上がりますよね。
だから、どんなものか全て予測が出来ないにせよ、
努力はなにがしかの形になって出て来ると思うわけです。
しかし。
人間はミキサーではありません。
期待外れの成果が出たり、
もしくは出来上がりまでめちゃくちゃ時間がかかったりすることもあります。
むしろその場合が多いのかもしれません。
だからこそ、上手くいかなくなると、
せめて誰かに頑張りを認めてもらいたい、
自分という存在の価値を伝えてほしい、
こんな感情が芽生えてきます。
それ自体は自然なことだと思います。
人間は放っておくと、人に認めてもらいたがる生き物だからです。
しかし、悲しいかな、
そんな時に限って、誰も自分の方など向いてくれないのです。
もし向いてくれたとしても、絶望感を受け入れようと本人は精一杯ですから、
本人を認める言葉など、心に届きはしません。
だから、もう一歩だけ進んだ考えが必要なのだと私は思うんです。
それは、
「誰にも認められなくたっていいじゃないか」という開き直り
なんですね。
誰かを当てにするのではなしに、
とりあえず自分を磨くのです。
どうせどのような言葉が心に届かないのだとすれば、
誰かを求めても苦しさが増すだけです。
いや、むしろ、かえって傷を深くし、増やして、
しまいには自分そのものを駄目にしてしまいません。
だから、勇気を持って、
一人になりきるのです。
〇 〇 〇
磨かれたダイヤモンドは嫌でも光ってしまいます。
よい香りはどうしても伝わってしまいます。
それは人間でも同じだと思いませんか。
私もよくこの罠にはまってしまいますが、
愚直さを大切にする姿勢を持ちたいです。
もっと自分を磨かなきゃです。
「努力していれば誰かが見ていてくれます。
だから希望を捨てないで下さい」
絶望に一筋の光を与えてくれる、
よい言葉です。
しかし、額面の通りに考えたり捉えたりする言葉でもないと思います。
少なくとも私は割り引いて考えています。
〇 〇 〇
頑張ったら報われるのは本当だと私は思います。
ミキサーに何も入れなければいくら回しても何も出来ませんが、
なにがしかのもの、例えばトマトならトマトジュース、
混ざりにくい2つ以上のものならそれらの混合物、
こんなものが出来上がりますよね。
だから、どんなものか全て予測が出来ないにせよ、
努力はなにがしかの形になって出て来ると思うわけです。
しかし。
人間はミキサーではありません。
期待外れの成果が出たり、
もしくは出来上がりまでめちゃくちゃ時間がかかったりすることもあります。
むしろその場合が多いのかもしれません。
だからこそ、上手くいかなくなると、
せめて誰かに頑張りを認めてもらいたい、
自分という存在の価値を伝えてほしい、
こんな感情が芽生えてきます。
それ自体は自然なことだと思います。
人間は放っておくと、人に認めてもらいたがる生き物だからです。
しかし、悲しいかな、
そんな時に限って、誰も自分の方など向いてくれないのです。
もし向いてくれたとしても、絶望感を受け入れようと本人は精一杯ですから、
本人を認める言葉など、心に届きはしません。
だから、もう一歩だけ進んだ考えが必要なのだと私は思うんです。
それは、
「誰にも認められなくたっていいじゃないか」という開き直り
なんですね。
誰かを当てにするのではなしに、
とりあえず自分を磨くのです。
どうせどのような言葉が心に届かないのだとすれば、
誰かを求めても苦しさが増すだけです。
いや、むしろ、かえって傷を深くし、増やして、
しまいには自分そのものを駄目にしてしまいません。
だから、勇気を持って、
一人になりきるのです。
〇 〇 〇
磨かれたダイヤモンドは嫌でも光ってしまいます。
よい香りはどうしても伝わってしまいます。
それは人間でも同じだと思いませんか。
私もよくこの罠にはまってしまいますが、
愚直さを大切にする姿勢を持ちたいです。
もっと自分を磨かなきゃです。