宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

強い自恃と厳しい自戒

2023年10月29日 | 「賢治研究」の更なる発展のために
鈴木 すると思い出すのは、筑摩書房が昭和25年に起こした『事故のてんまつ』の「絶版回収事件」だ。その編集担当者原田奈翁雄がこの件に関しての総括見解の中で、
 「今回の経験を通じて、私どもは言論・表現・出版の自由を守ることの意味の深さをあらためて痛感すると同時に、その自由を守るためには、強い自恃と厳しい自戒の一層深く求められることを学び得たと考えております。
と述べているからだ。
荒木 そして鈴木が『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』の84pで取り上げている次の事項、
  ⑴ 「サムサノナツハオロオロアルキ」もなかった賢治
  ⑵ 羅須地人協会時代の上京についてのあやかし
  ⑶ 羅須地人協会時代は「独居自炊」とは言い切れない
  ⑷ 〈悪女・高瀬露〉は冤罪である
も皆、同じく昭和52年がらみであり、この「絶版回収事件」が起こったのも昭和52年だから、まさに筑摩の社史が、
    倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました。
と断言していることと無関係ではないはずだ。
吉田 筑摩が倒産したのは昭和53年だからな。
鈴木 そこなんなんだよ。『事故のてんまつ』の「絶版回収事件」については、担当編集者の原田奈翁雄が厳しく総括したからこそ、その結果、「一から出直すことができた」はずだ。つまり、社史『筑摩書房 それからの四十年』の「あとがき」の中に、
 もしも、あのとき倒産していなかったら、筑摩書房はどんどん腐り続けていったことでしょう。しかし、幸いにして倒産した。倒産したから一から出直すことができた。もちろん、そのために払った犠牲はとても大きなものです。多くの人に迷惑をかけました。だけど、倒産しなかったなら、もっと大きな犠牲を払わなければならなかったのではないか。
というように、てらいなく書けたと思う。
吉田 にもかかわらず、「絶版回収事件」と同じ構図にあった「〈悪女・高瀬露〉は冤罪である」<*1>に関しては、こちらの担当編集者は原田奈翁雄とは違って知らん振りをした。もしその時に、『事故のてんまつ』を他山の石と認識して、この〝⑴~⑷〟についても自分たちが為したこ事柄を真摯に自省しておれば、こんな筑摩らしからぬ「杜撰」が今でも相変わらず残ったままだという事態はなかったはずだ。
荒木 だから、弱腰の鈴木に成り代わって俺が言ってやろう、
   今からでも遅くない、その当時の担当編集者は原田奈翁雄に見倣って総括をし、その見解を公にせよ。
と。 
吉田 おお、荒木も言うではないか。
 たしかに、この度の「性加害問題」が今頃になって世界的な大問題になったのも、周りが見て見ぬ振りをし続けたからだ。しかし、天網恢々疎にして漏らさずだから、いずれこれらの「杜撰」も世間から指弾されるだろう。だから、そんなおぞましい事態を免れるために速やかに、これらの「杜撰」について、もう知らん振りや見て見ぬ振りは止めて、真摯にそして謙虚に総括し、総括見解を公にして頂きたいものだ。筑摩書房様には「強い自恃と厳しい自戒」がおありのはずですから……。

<*1:註> 二つは次の点で酷似していて、
㈠ 両者とも、「倒産直前の筑摩書房は腐りきっていました」という、まさに倒産直前の昭和52年になされたことである。
㈡ 両者とも、当事者である川端康成(昭和47年没)、高瀬露(昭和45年没)が亡くなってから、程なくしてなされたことである。
㈢ その基になったのは、共に事実とは言い切れない、前者の場合は「伝聞の伝聞そのまた伝聞」である「鹿沢縫子」の原話であり、後者の場合は賢治の書簡下書(所詮手紙の反故であり、相手に届いた書簡そのものではない)を元にして、推定困難なと言いながらも、それを繰り返した「推定群⑴~⑺」である。
㈣ 共に、故人のプライバシーの侵害・名誉毀損と差別問題がある。
㈤ 共に、スキャンダラスな書き方もなされている。
ので、この二つは同じ構図にあるということに気付く。

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813

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