つまり、昭和2年の稲作期間の気温は高かったということがこれで一目瞭然である。これらは当時の盛岡測候所のデータであり、その頃の同所長は福井規矩三であったのだが、後の彼の追想「測候所と宮沢君」における「昭和二年はまた非常な寒い氣候が續いて、ひどい凶作であつた」(『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋書店)、317p)という記述は実は誤認であったということを、いみじくも、同測候所のこれらのデータが私た . . . 本文を読む
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《鈴木 守著作案内》
◇ この度、拙著『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)が出来しました。
本書は『宮沢賢治イーハトーブ館』にて販売しております。
あるいは、次の方法でもご購入いただけます。
まず、葉書か電話にて下記にその旨をご連 . . . 本文を読む
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