はっぴぃ すろ~らいふ

小学校入学と同時に家族で田舎にやって来たはっぴぃさん。古民家を改装。無農薬の野菜作り。手作りや田舎暮らしをご紹介♪♪♪

目に見えない世界・・・⑤ パラレルワールドの扉

2018年03月22日 | 日記
出産の時のことです。
色んな見落としが重なって、極限状態になっていました。

そこでよく三途の川が見えた・・・という話を聞くのですが、私はパラレルワールドを体験しました。
現時間と同時にいくつもの時代が進行することを言います。


出産予定日の5日前に破水し、72時間以内に出産しなければならないというタイムリミットがありました。
5分以内の陣痛が20時間経過して、さんざん自然分娩を頑張りましたが赤ちゃんは降りて来ませんでした。この時既にガクガクで膝が笑う状態でした。
陣痛促進剤を投入、最高値にまで上げてから2時間頑張りましたがダメでした。もう心臓が爆発するかと思うくらいの苦しさでした。
緊急帝王切開の準備に入るのですが、手術室が詰まっていた上、その日は急に産気づく妊婦さんが多く、私は廊下に一時間半放置されました。
その間も促進剤の余韻が続いていて、まるで拷問を受けているようでした。
やっと手術室に入り、腰椎麻酔を打たれて少しづつ痛みから解放されていくと同時に怖さを感じました。
帝王切開ではっぴぃさんを取り出した時、「ふにゃ」と小さく聞こえただけで元気な産声がありませんでした。
看護師さんがバタバタするのがわかり、すぐに見せてくれませんでした。
「○○さん、女の子を出産しましたよ!」と言って私の左側に連れてきてくれたのですが、足しか見せてくれませんでした。
これは危ない状態ではないか・・・と不安がよぎりました。
その直後「○○さん、眠る麻酔をしますからね~」と言われ吸入器のような物を鼻に被せられた途端、疲れ切った私はすぐに眠りに落ちました。
後で分かったことですが、手術が始まったのでした。
最初、内臓をグニャグニャ動かされる感覚があり、その後パラレルワールドの入り口にいました。



私が見たのはいくつもの扉が存在する横長の長方形の画面でした。
上の図が簡単に再現した図です。(折り紙を切り貼りしたので実際の色とは少し違いますが雰囲気は分かって頂けると思います)
クリーム色の背景の中央に逆Tの字をした道がありました。
道の色は薄いグレーでした。
そして左右に横に10数個ずつ、縦に6列くらい合計150個くらい(この画面から必死で現世へ戻ろうと振り絞っていたので数を数える余裕はありませんでした)の扉が並んでいました。
扉の色はどれもパステルカラーの寒色系で、正方形の上に半円を乗せた形をしていました。

そして一番下の列の左から5番目の扉だけが開いていて、その扉の中の画像は私が手術室にいて目を開けて見える光景でした。
上の方に麻酔科の先生の顔が頭から見え、下の方は手術の内容が見えないように緑色のシーツが張ってありました。
横を忙しく看護師さんが動き回るのが見えていました。


最初、私の意識はA地点にいました。
それを一番下の列の左から5番目(現世)に持って行こうと矢印の方向に意識を移動させたとき、ビシューン!というようにどこかの扉が開いて吸い込まれるように別世界にいました。

一番最初に吸い込まれたのは旧石器時代でした。
私は10歳前後の少女でした。
毛皮の衣服を身に纏い、洞窟の入り口の影から10数人の男の人達がマンモスのこどもをやっつけているのを見ていました。
棒に石をくくりつけた斧のような道具で叩きつけていました。
辺りは薄暗く、頭がスレスレの洞窟の少し入ったところに、母と思われる人と、自分より小さい男の子が火を熾していました。
言葉を交わすこともなく、しばらくその光景を眺めていましたが、ふと我に返り、夢を見ているのかと思いました。
「いけない、いけない、こんな事をしている場合ではない。早く戻らなければ・・・」と思い、渾身の力を振り絞って意識を戻そうとしました。

するとまた先ほどの画面が出てきて、私の意識の位置がA地点より少し下に進んだところにありました。
そしてまた、同じ一番下列の左から5番目の扉だけが開いていて、手術台に寝かされている私の目から見える光景がビデオのように動いていました。
この時、わたしは「これはただの夢ではないな」ということに気づき、自分の残りわずかな体力があるうちに何とか現世に戻りたいと思いました。
戻れなかったら現世では死んでしまっているのか?
吸い込まれた扉の先に突然現れた私の存在は、その時代で元から存在していたかのように成り立っているのか?
謎です。

とにかく私は急ぎました。
早く戻らなければ、と。

意識をA地点からB地点に近づけるようにするのですが、小刻みにしか移動できず、少し移動したと思ったら別の扉がビシューン!と開いて吸い込まれて、渾身の力を振り絞って戻り、少し進んで、また別の扉が開いて、戻って、を何回繰り返したでしょう・・・
20回近くは繰り返し、その間、扉の向こうで見た物は、厳島神社のように水の上に舞台があるところであったり、石造りの路地を何者かに追われて駆け抜けたり・・・
ヘトヘトになってすぐに戻れなかった時に見たのは、江戸時代か幕末辺りかで、私は10歳前後の少年でした。
下駄を履き、絣の着物を着て、同じ年頃の少年達15人前後で草原を一気に駆けて競い合っている風景でした。

そして、現世に戻るひとつ手前で見たのは・・・
私は赤ちゃんを産んだばかりの若い母親でした。
薄暗い部屋に赤ちゃんを抱っこして座っていました。
木製のベビーベッドの隅にもたれかけて、疲れてだるそうにしていました。
ベビーベッドの上には木製で引っ張るとくるくると回るおもちゃが吊られていました。
このおもちゃの形などからして、昭和30年代ではないかと思います。
赤ちゃんは男の子でした。
そして横に、今の私の母が40歳ちょっとくらいの年齢の風貌で座っていました。
この時代も母である母の姿を見たとき、ギョッとしました。
この人とは何か克服しなければいけない因縁があるのかな、と思いました。

・・・そして最後の力を振り絞り、やっと現世の扉にたどり着きました。
と同時に「意識が戻りました!」という看護師さんの声が聞こえました。

その時、私の体は宙に浮いていました。
というよりも、肉体は手術台の上にあるのですが、自分の感覚が肉体から50㎝ほど浮いたところにあり、激しい頭痛と吐き気がしました。
この現象を幽体離脱と言うのかはわかりませんが・・・
肉体と感覚が一致しない気持ち悪さでどうしていいかわからず、酷く疲れていて眠りたいけど、眠るとまた先ほどのパラレルワールドに吸い込まれそうでとても怖くて眠れませんでした。
今の状況を執刀に当たって下さった先生に必死で話すのですが、いい加減にしか聞いてもらえませんでした。
手術室は混んでいて、前室に連れて行かれ、私が話をやめて落ち着くまで外に出してくれませんでした。
その時にパラレルワールドという言葉も知らなくて上手く説明できませんでしたし、それを理解する人に出会うことも難しかったでしょうから・・・

パラレルワールドの入り口と思われる上図で分かったことは、上の方が時代が古くて、下に行くほど現代に近づくということ。
そしてまるでポスターカラーを塗ったかのようなペタッとした平面で、色はマットで、単純な形をしていると。
逆Tの字の道路の端はハサミで切ったようなスカッとした切り口ではなく、和紙をぴりぴりと裂いたような曖昧な形状であったこと。
横一列に並んだ扉は一直線上ではなく、少しづつ上下にズレていたと言うこと。
何で、扉の色は全部寒色系だったのか?
私は左から5番目の扉で終えてしまったけれど、一番端まで行くと続きの画面があるのか?
は謎です。
そして扉の向こうで起こっている事に何一つ奇異がないこと。(夢であったら、いきなり空を飛べたり、突然場面が変わったりすることがあるけれど、至って普通であったこと)
会話が一切なかったこと。
が、今思い返して気づくことです。

出産後、激しい頭痛と目眩は2~3ヶ月続き、はっぴぃさんが3歳近くになったころ、初めて「今日、一日スッキリしてたかも・・・」というくらい後遺症が続きました。
出産後2日目、車椅子で婦長室に1人で連れて行かれ、はっぴぃさんの出生時のアブガー点が10点満点中、5点しかなく「覚悟して下さい」と言われたときは愕然として涙がこぼれました。
この点数の意味をその時は知らなかったのですが、後ほど調べたのが、健常児はほとんど10点、よほどの難産でも9点(実際に私の親友でかなりの難産で幽体離脱になった友達もこの点数)、本当に危険で障害が残ってしまう出産で7点でした。
ICU専門の看護師の友人に「よく生きていたね!」と言われ、その現状に気づきました。

それからドーマン法の扉を叩き、私の子育ての格闘が始まります。


「生きてるだけで丸儲け」の親子が今ここに存在し、その娘が私の背丈を超え、誰から見ても過去にそんなことがあったように見えないまでに成長してくれたことに感謝です!

誰のせいにもせず、全てを受け止めて努力する。
きっと見えない力が全力で助けてくれるはずです。




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