はっぴぃ すろ~らいふ

小学校入学と同時に家族で田舎にやって来たはっぴぃさん。古民家を改装。無農薬の野菜作り。手作りや田舎暮らしをご紹介♪♪♪

目に見えない世界・・・③震災の前日

2018年03月20日 | 日記
阪神大震災の前日。(1月16日)
私は結婚して一年半の新婚でした。
西宮市の大社町という所にある4階建ての集合住宅の4階の角部屋に住んでいました。
甲山と平地の境目で、すぐ近くに活断層が通り、かなり被害が大きかった所です。

食事も終わり夜の8時半頃になって、私はなぜか急に部屋の模様替えがしたくなりました。
それもヘンテコなレイアウトに・・・
それまでは横一直線に家具がピシッと並んでいたのを、家具と家具がL字型になるようなおかしなレイアウトに変えようと思ったのです。
その頃インテリアデザインの仕事をしていましたから、正直あり得ないレイアウトでした。
ですがその時は気分転換と思ったのか、おかしいと思わなかったのです。
背の高い本棚が二つもありましたし、デスクやサイドボードなどかなりの重量でした。
普段だったら「今度にしよう。」と言いそうな主人が何一つ文句も言わず、私の言う通りになるよう手伝ってくれたのです。
その日は3連休の最終日でしたので、それまで充分な時間があったのにも関わらず、そんな遅い時間にゴソゴソと2人で家具を移動していました。

そして次の日の早朝・・・
突然ドォ~ンっと背中から2mくらい突き落とされて、その後、箱の中で振られているような激しい揺れが襲いました。
寒い時期だったのでサッシもしっかり閉めていたのに、サッシのクレセント(鍵)が揺れで外れ、サッシや網戸が右に左にシャーンシャーンと動き、バルコニーに置いてあったものが当たってガラスが割れました。
ありとあらゆる物が落ちてきましたが、寝室には大きな家具や落ちてきて怪我をしそうな物は置いていなかったので少しの打撲で済みました。
昨夜移動した家具は、それぞれをL字型にしたおかげでお互いを支え合い、傾いてはいるものの何とか倒れ落ちずにいて、私達の逃げ道を作ってくれていました。(中の物はほとんど落ちてしまって割れてしまいましたけれどもね)
この傾いてギリギリ倒れ落ちそうな家具を見た時、私は鳥肌が立ちました。
「あ~、守ってもらっている!」と。

外に避難すると、私達の部屋の真下に済んでおられる家族は家具が倒れて玄関にたどり着けなくて、ベランダから「助けて~!」と叫んでおられました。
3階のベランダから鍵を投げられたのを預かって、玄関の鍵を開け、数人で玄関側から家具を動かし救助しました。

この建物の中で一番揺れの大きい部屋は私達の住んでいた部屋(最上階の角部屋)だったのに、被害が最小で済んだのは見えない力のおかげだということを改めて感じました。

すぐ隣の三軒の戸建ても注文住宅だったのですが、一つは1階がなくなって2階がストンと落ちて平屋建てのようになっていました。
あとの2軒も大きく傾いてとても中に入れる状態ではありませんでした。
少し離れたところに100軒を越える建て売りの住宅地がありましたが、余震の度にザザザ~ッと家が崩れ落ちる音が響きました。
しばらくして暗がりの明ける頃、南の方から五本の火の手が上がりました。

私は大学を出てから東京のハウスメーカーに就職し、向こうで何回も地震を体験しましたが、直下型という今回のような地震は初めてでした。
いつか東京に大きな地震が来るだろうと思っていましたので、震源地がわかるまでは「ここがこんなに酷いのだから、東京は? もう日本は全滅したのではないか・・・」と思っていました。
あとでラジオの放送から震源地はこの近くだと分かったとき、不謹慎ですが正直に「良かった、日本はまだ大丈夫だ」と思ったのです。


第六感が働いたり、なんだかわからないけどいつもと違うあなたや、家族のおかしな行動を感じたとき、
目に見えない存在があなた方を助けるために一生懸命に知らせてくれているかも知れませんヨ!




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