はっぴぃ すろ~らいふ

小学校入学と同時に家族で田舎にやって来たはっぴぃさん。古民家を改装。無農薬の野菜作り。手作りや田舎暮らしをご紹介♪♪♪

お元気で!

2018年03月25日 | 日記
そろそろ私も色んなお役目が来て、すろ~らいふでなくなります。
今日でこの地を離れます。
この地で出会い、お世話になったたくさんの方に心よりお礼申し上げます。

〝お世話になり、本当にありがとうございました!〟


ブログも今日でおしまいです。

誤解されると残念ですのではっきりと申し上げますが、私はどこかの宗教団体に属するとかはなく、全くの無宗教者です。
でも自然への畏敬の念は持っておりますし、日本の真の神様は伊勢神宮におられると感じています。
しんどくなった時は、伊勢神宮の外宮と、内宮の別宮の伊雑宮にパワーを頂きに行きます。

目に見えない世界は本当にあります。

自分の中にある内在神に恥じないように、今を感謝して、一生懸命に生きましょう!

このブログをご愛読頂きありがとうございました。


目に見えない世界・・・⑥ 丑寅の金神様

2018年03月24日 | 日記
はっぴぃさんが小学校2年生の時です。
5月のある日の夕方、はっぴぃさんはチェロの練習をしていました。
私はキッチンで夕食の準備をしていました。
外が今まで見たことがないほどに一気に黄色く光り出しました。

あまりにも黄色いので、2人で外に出ると、西の空が黄金色に光り輝いていました。
「うわ~、すごいなぁ~・・・」と言いながら未だかつて見たこともない空の色に見とれていました。

くる~っと空を見渡すと、真上に阪神タイガースのマークのような大きな虎がいました。
雲が寄り集まって出来ているのですが、そのリアルなこと!
まるで生き物のようで、怖いくらいでした。
その虎はシャンパンゴールドの色をしていて、あごの辺りに小さめの雲がクルクルと旋回していました。

少しづつ北東の方角に移動していくのですが、不思議なことに雲の形がずっと虎の形をきれいに保ったままなのです。
じっと見ていると吸い込まれそうになるくらいで、少し怖かったです。
はっぴぃさんが連れて行かれそうにならないようにしっかり手を握っていました。

ほんとうにCGで制作したかのような完璧な形態で、何か近くでイベントをやっているのかと思ったほどです。
写真に撮りたいとも思ったのですが、家に入っている間になくなったらもったいないと思ったの半分、
とても神聖な気を感じ、カメラに収めるのは不敬かな、という気もしてじっと見届けることにしました。

本当に虎の形をきれいに保ったまま、顎髭だけがクルクルと旋回し、北東の方角に移動し、山の向こうへ行ってしまいました。

十二支を方角に例えると、寅は東北の方角です。
大地を守る神様は丑寅の金神様といって、とても厳しい神様だということを何かの書物で読んだことがあります。
 

この10ヶ月後に東日本大震災が発生しました。

後になって、何かお告げがあったのでは・・・と感じる次第です。


目に見えない世界・・・⑤ パラレルワールドの扉

2018年03月22日 | 日記
出産の時のことです。
色んな見落としが重なって、極限状態になっていました。

そこでよく三途の川が見えた・・・という話を聞くのですが、私はパラレルワールドを体験しました。
現時間と同時にいくつもの時代が進行することを言います。


出産予定日の5日前に破水し、72時間以内に出産しなければならないというタイムリミットがありました。
5分以内の陣痛が20時間経過して、さんざん自然分娩を頑張りましたが赤ちゃんは降りて来ませんでした。この時既にガクガクで膝が笑う状態でした。
陣痛促進剤を投入、最高値にまで上げてから2時間頑張りましたがダメでした。もう心臓が爆発するかと思うくらいの苦しさでした。
緊急帝王切開の準備に入るのですが、手術室が詰まっていた上、その日は急に産気づく妊婦さんが多く、私は廊下に一時間半放置されました。
その間も促進剤の余韻が続いていて、まるで拷問を受けているようでした。
やっと手術室に入り、腰椎麻酔を打たれて少しづつ痛みから解放されていくと同時に怖さを感じました。
帝王切開ではっぴぃさんを取り出した時、「ふにゃ」と小さく聞こえただけで元気な産声がありませんでした。
看護師さんがバタバタするのがわかり、すぐに見せてくれませんでした。
「○○さん、女の子を出産しましたよ!」と言って私の左側に連れてきてくれたのですが、足しか見せてくれませんでした。
これは危ない状態ではないか・・・と不安がよぎりました。
その直後「○○さん、眠る麻酔をしますからね~」と言われ吸入器のような物を鼻に被せられた途端、疲れ切った私はすぐに眠りに落ちました。
後で分かったことですが、手術が始まったのでした。
最初、内臓をグニャグニャ動かされる感覚があり、その後パラレルワールドの入り口にいました。



私が見たのはいくつもの扉が存在する横長の長方形の画面でした。
上の図が簡単に再現した図です。(折り紙を切り貼りしたので実際の色とは少し違いますが雰囲気は分かって頂けると思います)
クリーム色の背景の中央に逆Tの字をした道がありました。
道の色は薄いグレーでした。
そして左右に横に10数個ずつ、縦に6列くらい合計150個くらい(この画面から必死で現世へ戻ろうと振り絞っていたので数を数える余裕はありませんでした)の扉が並んでいました。
扉の色はどれもパステルカラーの寒色系で、正方形の上に半円を乗せた形をしていました。

そして一番下の列の左から5番目の扉だけが開いていて、その扉の中の画像は私が手術室にいて目を開けて見える光景でした。
上の方に麻酔科の先生の顔が頭から見え、下の方は手術の内容が見えないように緑色のシーツが張ってありました。
横を忙しく看護師さんが動き回るのが見えていました。


最初、私の意識はA地点にいました。
それを一番下の列の左から5番目(現世)に持って行こうと矢印の方向に意識を移動させたとき、ビシューン!というようにどこかの扉が開いて吸い込まれるように別世界にいました。

一番最初に吸い込まれたのは旧石器時代でした。
私は10歳前後の少女でした。
毛皮の衣服を身に纏い、洞窟の入り口の影から10数人の男の人達がマンモスのこどもをやっつけているのを見ていました。
棒に石をくくりつけた斧のような道具で叩きつけていました。
辺りは薄暗く、頭がスレスレの洞窟の少し入ったところに、母と思われる人と、自分より小さい男の子が火を熾していました。
言葉を交わすこともなく、しばらくその光景を眺めていましたが、ふと我に返り、夢を見ているのかと思いました。
「いけない、いけない、こんな事をしている場合ではない。早く戻らなければ・・・」と思い、渾身の力を振り絞って意識を戻そうとしました。

するとまた先ほどの画面が出てきて、私の意識の位置がA地点より少し下に進んだところにありました。
そしてまた、同じ一番下列の左から5番目の扉だけが開いていて、手術台に寝かされている私の目から見える光景がビデオのように動いていました。
この時、わたしは「これはただの夢ではないな」ということに気づき、自分の残りわずかな体力があるうちに何とか現世に戻りたいと思いました。
戻れなかったら現世では死んでしまっているのか?
吸い込まれた扉の先に突然現れた私の存在は、その時代で元から存在していたかのように成り立っているのか?
謎です。

とにかく私は急ぎました。
早く戻らなければ、と。

意識をA地点からB地点に近づけるようにするのですが、小刻みにしか移動できず、少し移動したと思ったら別の扉がビシューン!と開いて吸い込まれて、渾身の力を振り絞って戻り、少し進んで、また別の扉が開いて、戻って、を何回繰り返したでしょう・・・
20回近くは繰り返し、その間、扉の向こうで見た物は、厳島神社のように水の上に舞台があるところであったり、石造りの路地を何者かに追われて駆け抜けたり・・・
ヘトヘトになってすぐに戻れなかった時に見たのは、江戸時代か幕末辺りかで、私は10歳前後の少年でした。
下駄を履き、絣の着物を着て、同じ年頃の少年達15人前後で草原を一気に駆けて競い合っている風景でした。

そして、現世に戻るひとつ手前で見たのは・・・
私は赤ちゃんを産んだばかりの若い母親でした。
薄暗い部屋に赤ちゃんを抱っこして座っていました。
木製のベビーベッドの隅にもたれかけて、疲れてだるそうにしていました。
ベビーベッドの上には木製で引っ張るとくるくると回るおもちゃが吊られていました。
このおもちゃの形などからして、昭和30年代ではないかと思います。
赤ちゃんは男の子でした。
そして横に、今の私の母が40歳ちょっとくらいの年齢の風貌で座っていました。
この時代も母である母の姿を見たとき、ギョッとしました。
この人とは何か克服しなければいけない因縁があるのかな、と思いました。

・・・そして最後の力を振り絞り、やっと現世の扉にたどり着きました。
と同時に「意識が戻りました!」という看護師さんの声が聞こえました。

その時、私の体は宙に浮いていました。
というよりも、肉体は手術台の上にあるのですが、自分の感覚が肉体から50㎝ほど浮いたところにあり、激しい頭痛と吐き気がしました。
この現象を幽体離脱と言うのかはわかりませんが・・・
肉体と感覚が一致しない気持ち悪さでどうしていいかわからず、酷く疲れていて眠りたいけど、眠るとまた先ほどのパラレルワールドに吸い込まれそうでとても怖くて眠れませんでした。
今の状況を執刀に当たって下さった先生に必死で話すのですが、いい加減にしか聞いてもらえませんでした。
手術室は混んでいて、前室に連れて行かれ、私が話をやめて落ち着くまで外に出してくれませんでした。
その時にパラレルワールドという言葉も知らなくて上手く説明できませんでしたし、それを理解する人に出会うことも難しかったでしょうから・・・

パラレルワールドの入り口と思われる上図で分かったことは、上の方が時代が古くて、下に行くほど現代に近づくということ。
そしてまるでポスターカラーを塗ったかのようなペタッとした平面で、色はマットで、単純な形をしていると。
逆Tの字の道路の端はハサミで切ったようなスカッとした切り口ではなく、和紙をぴりぴりと裂いたような曖昧な形状であったこと。
横一列に並んだ扉は一直線上ではなく、少しづつ上下にズレていたと言うこと。
何で、扉の色は全部寒色系だったのか?
私は左から5番目の扉で終えてしまったけれど、一番端まで行くと続きの画面があるのか?
は謎です。
そして扉の向こうで起こっている事に何一つ奇異がないこと。(夢であったら、いきなり空を飛べたり、突然場面が変わったりすることがあるけれど、至って普通であったこと)
会話が一切なかったこと。
が、今思い返して気づくことです。

出産後、激しい頭痛と目眩は2~3ヶ月続き、はっぴぃさんが3歳近くになったころ、初めて「今日、一日スッキリしてたかも・・・」というくらい後遺症が続きました。
出産後2日目、車椅子で婦長室に1人で連れて行かれ、はっぴぃさんの出生時のアブガー点が10点満点中、5点しかなく「覚悟して下さい」と言われたときは愕然として涙がこぼれました。
この点数の意味をその時は知らなかったのですが、後ほど調べたのが、健常児はほとんど10点、よほどの難産でも9点(実際に私の親友でかなりの難産で幽体離脱になった友達もこの点数)、本当に危険で障害が残ってしまう出産で7点でした。
ICU専門の看護師の友人に「よく生きていたね!」と言われ、その現状に気づきました。

それからドーマン法の扉を叩き、私の子育ての格闘が始まります。


「生きてるだけで丸儲け」の親子が今ここに存在し、その娘が私の背丈を超え、誰から見ても過去にそんなことがあったように見えないまでに成長してくれたことに感謝です!

誰のせいにもせず、全てを受け止めて努力する。
きっと見えない力が全力で助けてくれるはずです。



目に見えない世界・・・④光の正体は

2018年03月21日 | 日記
阪神大震災の後、数日経って、電車が動くようになって、大津の実家に帰った時のことです。
主人は必要な物を揃え、実家の原チャリを借りて西宮に戻って行きました。(道路に段差が出来て自動車では通れないところがたくさんあったからです。)

度重なる余震で、私の体はフワフワしていました。
少しの揺れにも敏感になっていたので、家の前を通る大型の自動車の揺れで地震が来たと勘違いするほどでした。
震災は夜明け前の真っ暗な中での出来事でしたから、私は暗闇が怖くて夜寝るときも電気をつけたままでした。
髪を洗うときも目をつぶるのが怖くて、シャンプーが目に入って痛くても目を開けたまま洗っていました。
とにかく見えないのが怖かったのです。

主人がいなくなって、2階の部屋に1人で寝るのが怖かったので、隣の部屋に片方の襖を開けたままにして母に寝てもらっていました。
深夜までずーっと寝付けないでいると、階段を上ってくる衣擦れの音が聞こえました。
その音は普通の袴ではなく、歌舞伎役者が着ている裾の長い袴を擦りながら歩くスサーッサーッという音でした。
階段を上がりきり、音は私の寝ている部屋に近づいてきました。
なんだか怖くて、私は布団を頭までかぶりました。
すると部屋の前でいったん止まった音は引き戸を開けぬまま通過して私の足下から右側を通り、私の頭の右横に止まりました。
その時に電気をつけたまま布団をかぶっているのにも関わらず、布団を通してキラキラともの凄い光り輝くのが見えました。
そして大幣でサッッサッッサーッ(左、右、左)と修祓をして下さる音が聞こえました。
もの凄い輝きと、とても暖かいものを感じ、真冬にも関わらずずっくりと汗をかき、そのまま寝入ってしまいました。

その次の日、私は避難先の実家で職探しを始めました。
このままではいけない!何かを始めなくては!という思いでいっぱいでした。
結婚前に数ヶ月派遣で仕事をさせてもらっていたところにアルバイトで雇ってもらえることになり、そこで5月末まで働き、6月になってライフラインが復旧してから西宮に戻り、インテリアコーディネーターの仕事を新採用で始めました。


あの光の正体が、一階の神棚から現れた神様だったのか、ずっと昔のご先祖様だったのか、がわかりませんが、もの凄いパワーをもらったと自覚しています。

感謝!!!



目に見えない世界・・・③震災の前日

2018年03月20日 | 日記
阪神大震災の前日。(1月16日)
私は結婚して一年半の新婚でした。
西宮市の大社町という所にある4階建ての集合住宅の4階の角部屋に住んでいました。
甲山と平地の境目で、すぐ近くに活断層が通り、かなり被害が大きかった所です。

食事も終わり夜の8時半頃になって、私はなぜか急に部屋の模様替えがしたくなりました。
それもヘンテコなレイアウトに・・・
それまでは横一直線に家具がピシッと並んでいたのを、家具と家具がL字型になるようなおかしなレイアウトに変えようと思ったのです。
その頃インテリアデザインの仕事をしていましたから、正直あり得ないレイアウトでした。
ですがその時は気分転換と思ったのか、おかしいと思わなかったのです。
背の高い本棚が二つもありましたし、デスクやサイドボードなどかなりの重量でした。
普段だったら「今度にしよう。」と言いそうな主人が何一つ文句も言わず、私の言う通りになるよう手伝ってくれたのです。
その日は3連休の最終日でしたので、それまで充分な時間があったのにも関わらず、そんな遅い時間にゴソゴソと2人で家具を移動していました。

そして次の日の早朝・・・
突然ドォ~ンっと背中から2mくらい突き落とされて、その後、箱の中で振られているような激しい揺れが襲いました。
寒い時期だったのでサッシもしっかり閉めていたのに、サッシのクレセント(鍵)が揺れで外れ、サッシや網戸が右に左にシャーンシャーンと動き、バルコニーに置いてあったものが当たってガラスが割れました。
ありとあらゆる物が落ちてきましたが、寝室には大きな家具や落ちてきて怪我をしそうな物は置いていなかったので少しの打撲で済みました。
昨夜移動した家具は、それぞれをL字型にしたおかげでお互いを支え合い、傾いてはいるものの何とか倒れ落ちずにいて、私達の逃げ道を作ってくれていました。(中の物はほとんど落ちてしまって割れてしまいましたけれどもね)
この傾いてギリギリ倒れ落ちそうな家具を見た時、私は鳥肌が立ちました。
「あ~、守ってもらっている!」と。

外に避難すると、私達の部屋の真下に済んでおられる家族は家具が倒れて玄関にたどり着けなくて、ベランダから「助けて~!」と叫んでおられました。
3階のベランダから鍵を投げられたのを預かって、玄関の鍵を開け、数人で玄関側から家具を動かし救助しました。

この建物の中で一番揺れの大きい部屋は私達の住んでいた部屋(最上階の角部屋)だったのに、被害が最小で済んだのは見えない力のおかげだということを改めて感じました。

すぐ隣の三軒の戸建ても注文住宅だったのですが、一つは1階がなくなって2階がストンと落ちて平屋建てのようになっていました。
あとの2軒も大きく傾いてとても中に入れる状態ではありませんでした。
少し離れたところに100軒を越える建て売りの住宅地がありましたが、余震の度にザザザ~ッと家が崩れ落ちる音が響きました。
しばらくして暗がりの明ける頃、南の方から五本の火の手が上がりました。

私は大学を出てから東京のハウスメーカーに就職し、向こうで何回も地震を体験しましたが、直下型という今回のような地震は初めてでした。
いつか東京に大きな地震が来るだろうと思っていましたので、震源地がわかるまでは「ここがこんなに酷いのだから、東京は? もう日本は全滅したのではないか・・・」と思っていました。
あとでラジオの放送から震源地はこの近くだと分かったとき、不謹慎ですが正直に「良かった、日本はまだ大丈夫だ」と思ったのです。


第六感が働いたり、なんだかわからないけどいつもと違うあなたや、家族のおかしな行動を感じたとき、
目に見えない存在があなた方を助けるために一生懸命に知らせてくれているかも知れませんヨ!



目に見えない世界・・・②未知との遭遇

2018年03月17日 | 日記
あなたはUFOや宇宙人に出会ったことはありますか?


私が出会ったのは中学生の時です。
それは夏も終わりに近づいて、少し涼しくなりかけた夜・・・


私の部屋は二階の南側で、窓に障子がはまった和室でした。
暑かったので障子を開けっ放しにし、網戸にして寝ていました。
窓の外には遮るものがなく、星空がきれいに見えていました。

寝付けないでいると、突然円盤形の物体が夜空に停止し、数秒間光っていました。
そしてレーザー光線のような光がこちらに届くと共に、私の体は肌掛け布団やサッシや障子や網戸を細胞がすり抜けて瞬間移動しました。

UFOの内装の色は全てシルバーでした。
寝かされた部屋は楕円形をしていて、天井がオムライスのように膨らんでいて中央から放射状の模様が入っていました。
その部屋の中央に大きめの楕円形の台がありました。
私はパジャマ姿の寝たままの姿勢で移動し、その楕円形の診察台のような上に寝ていました。
その台は金属で出来ていたのに人の形を包み込むようなくぼみがあったせいか、痛いとか居心地が悪いという感触はありませんでした。金属特有のヒャッとする冷たさも感じませんでした。
ただひとつ、その空間には嗅いだこともない独特のなんとも言えない嫌な臭いがしました。それは地球上に存在しないような臭いで、表現するとすれば重油の一番悪いところが放つような無機質的な悪臭と、ヘドロが腐りきったガスのような悪臭が混ざり合ったような臭いでした。
とにかく強烈に臭かったという記憶がしっかり残っています。

足元の側には、ウサギのように長い耳を持ちカンガルーのように二本足で立つ動物と、R2ーD2に似た頭部が円形のロボットがいました。
ロボットは磁力を使ったように音もなく浮いたように移動していました。

そして私の頭の側にシルバーのウエットスーツのような宇宙服を着たとても背の高い女性と男性が立っていました。
女性は頭を出していて、金色の長い髪に目は碧く、美しい北欧系の顔立ちをしていました。
男性の方の記憶が薄れているのですが、髪が宇宙服に包まれていたので髪の色はわかりませんが、瞳の色は鳶色でした。少しエラが張ったような顔立ちですがハンサムで、肌が浅黒かったように思うのですが、ネイティブアメリカンのような雰囲気も漂っていました。
どちらもとても背が高く、2mを超えるかと思われるくらい大きいと感じました。
そして女性は人差し指を私の眉間に近づけ、マイクロチップのようなものをスーッと埋め込みました。

UFOの中にいる時間は5分くらいの感覚でいましたが、実際には1、2分くらいではないかと思います。

そして私は再びレーザー光線のような光と共に元の部屋に瞬間移動し、ウトウトしたまま気がつくと朝でした。


この話をすると、たいていの人は「え~っ、またまた~!」とニヤニヤされるので、実はここ数年前まで誰にも話していませんでした。
「夢だったのよ~」と言われれば「そうだったのかも…」としか言いようがありません。
中学生の時も「あれは夢だったのか?」とわからないままでいましたから。
でもあの強烈な臭いの記憶は消えることがないのです。

実は7年くらい前に読んだのですが、私が尊敬する木村秋則さんの著書の中に、木村さんが宇宙人に連れられてUFOに乗った時の記述があるのですが、UFOに同乗していた2人の外国人が、私の見た宇宙人にとてもよく似ているのです。

私が宇宙人と思っていた2人は本当に宇宙人なのか?
それとも木村さんとUFOに連れられてから何かの役目をしているのか・・・
謎です。


3年前に頭をぶつけた時に期間をおいて3回もCTを撮ったのですが、マイクロチップが埋め込まれたような形跡は見つかりませんでした。
とても高度な文明を持っているでしょうからね。


ひょっとしたら、ニヤニヤしてるあなたも、実は知らない間に出会っているのかも知れませんよ。
でもそんな記憶は消し去られるか、夢だったかのように仕立てられて・・・


卒業

2018年03月09日 | 日記
はっぴぃさんは今日、中学校の卒業式を迎えさせて頂きます。

これまで支えて下さり、お世話になったたくさんの方に心より感謝致します。

ありがとうございました!

目に見えない世界・・・①モヤモヤのある人

2018年03月05日 | 日記
あなたは目に見えない世界って信じますか?

私はハッキリ見えるわけではありませんが、そのような世界があることを気付かせてくれた体験がいくつかあります。


私の生家は数寄屋造りを得意とする建築業を営んでおり、住み込みのお弟子さんをはじめ、職人さん、業者さん、銀行員さんなどとても人の出入りの多い家でした。
その出入りする人たちの中で2人、モヤモヤのかかった人がいました。

1人目は、私が小学校に入る前から出入りしていた蜂蜜屋でした。
年に2回ほど、一斗缶に入ったハチミツを売りに来ました。
その痩せたおじさんのおでこ辺りに黒いモヤモヤが見えるのでした。
初めてそのおじさんを見た時(保育園時)に母に「何かイヤな感じがするから来てもらわない方がいい」というような事を言った記憶がありますが「何、言ってるの!」といって相手にしてもらえませんでした。
思い返せば、なぜか、いつも夜に出入りしていました。
それから数年経って、私が小学校低学年の時に、自動車のフロント硝子が割れたから数万円貸して欲しいと貸したままでした。
半年後くらいに新聞で数十件の詐欺罪で捕まったという記事が載っていました。

2人目は、高校生の時でした。
京都から出入りしている呉服屋でした。
その中年太りのおじさんは喉の辺りがモヤモヤしていました。
その時も母に「あの人は止めておいた方がいい」と言いましたが全く聞いていませんでした。
そして2年後に不動産で数億円をウチから騙し取りました。それも法に触れるギリギリの方法で・・・。

他にも無心してくる人や極道の人等、何人もの困った人に会いましたが、そんな黒い煙のかかったようなモヤモヤは見えませんでした。
ずっと人を騙すことを考え続けている人に現れる現象なのかも知れません。
悪事は忘れた頃に我が身に降りかかってくる・・・という言葉を耳にしますので、今頃大変な思いをされているかも知れませんね。