卒業式まで死にません
―女子高生南条あやの日記―/南条あや/新潮文庫
どこかで南条あやの名前は知っていた、ような気がする。テレビかなんかでやってたかもしれない。
本屋で手にとって、ぱらぱらめくって、なんだよ横書きかよ、と思った。ブログがそのまま本になったみたいだな、と思った。そしてまた、ふうん、そうか、こういうのでも本になるんだな、と。各種の誤解を招きそうですが、やっぱりそう思わずにはいられませんでした。
ただ、本になるというのはいろいろな要素があって、書き手に書く力があるというのもその一つではあるけれども、それが絶対条件ではないのかもな、と。そう、本を出す、ということが、イコール作家になる、ということではないんだな、と。まあね、それはほら、タレントのように職業欄に「作家」とか「文筆業」なんて書かない人が本出したりするわけですから、今に始まったこっちゃないんですけれども。て、いや、そういう事を語り始めると長くなりますから割愛しますけれども、さ。
えー、とっとと感想に参りたいと思います(笑)。
おいらね、こうしてネットに参加するようになってもう、何年?少なくとも5年以上は経ってるんですけれども、その間に、何人かの自傷(←これ一発で変換しなかったよ、おいらのPC。時勢に乗れてないねえ/苦笑)行為をする人や、自称、精神を病んでる人の文章を読みました。もちろん、そういうのがすべてではない、ということを大前提としますが、押し並べて皆さん、文章が上手いんですよ。技術的にどうこう、というよりも、読ませる文章なんですな。まあそれはこっちが読む態勢になってることもあるけれども、ついつい、目が追ってしまう。フィクションもノンフィクションも、日記も小説も詩も、その表現方法は様々ですが、やはり最終的に自己の内面を吐露したものになるわけで、おいらはそこに惹かれていたのかもしれません。
おいらにはないよなあ、と。
年齢的な事も含めて(はい、ここ笑いドコロね)、おいらは、多分この南条あやさんのような人達、前述した人達のことですが、そういう人達とは決定的に違う部分があります。
おいらはそこまで研ぎ澄まされていない。
そこまで過敏ではないし、そこまで気を遣っていないし、そこまで思い詰めていない。
早い話が、鈍感で我侭で図太いっちゅーことなんだけどもな!
おいらがB型女であるということも、その要因の一つではあるだろうけどもさ!
たとえば、眠れなくなって、それが一つの服薬のきっかけだったりするでしょう?いやもちろん、それが全部ではないし、経緯だっていろいろあるけども、ま、あくまで一例としてね。そうすっとおいらはものすごく単純に、眠れないことをそれ程病的にとらえる必要があるのか?とまず思うわけよ。あ、断っておきますがおいらは不眠症のなんたるかは知りませんし、当然、罹患(こういうのも罹患といっていいんだろうか)したこともありません。的外れを承知で書きなぐっておりますよ。
何事にも始まりというものがあるとして、不眠症だって、最初からいきなりギンギンに眠れないんだよ三日も四日も、てなことではなく、最初は寝付きが悪いとか、寝てもちょっとしか眠れないとか、そういう事がスタートではないかと想像する。で、おいらがこうなったとして。寝付きが悪いなら、寝付けるまで起きてたらいいじゃん、と思うのな。それを気にするあまり、もっと寝付きが悪くなる方がヤバいと思うので、最初の段階で場外(笑)に出ちゃうの。是正しようとか考えないでな。多分、それが決定的な違いなんだろうなと思う。
おいらが小学生の、3年くらいかな、の頃にね、なかなか寝付かれない夜があったんですよ。当時おいらは9時就寝。いつもなら30分もしないうちに眠りについてたんだけれども、何がどうしてそうなったんだか、目をつぶっても、ウソ寝しても、ちっともさっぱり眠れない。そのうちにだんだん目が冴えてきて、あららら、目覚まし時計は日付が変わる頃の時刻を示しております。やばい、眠れない、バレたら怒られる。そこへ母上が様子を見に来ます。二階ベッドの下の段で妹は健やかな寝息、おいらは上の段で不健康な鼻息(笑)。
「起きてんの?」「(げ、まずい、ばれてる)…うん。全然寝られへん」
それに対して我が母のコメント。
「ふうん。ええやん、寝られへんねやったら寝んでも」
なんですと?
「無理に寝ようとするから余計寝られへんねん。横になって寝られへんねやから、座っときなさいよ」
…はい?
「座って目つぶってじーっとするだけでも、体は休まるからだいじょぶ、だいじょぶ」
…だいじょぶ、て何を根拠に?ていうか何がだいじょぶなの?
「ほな、おやすみ」
…え?
てっきり大目玉の小言山盛りだと思っていたおいらは、大いに肩透かしをくらいました。なあんや、寝られへんかったら別にぎっちぎちに寝んでもええんや。
以来、おいらは不眠症とは縁がありません。
南条あやさん達は、おそらくその初期の段階で、決まった時刻に眠りにつけないとか、決まった睡眠時間がとれないとかいうことに、かなり生真面目に対処しようとするんではないか、と想像する。皆さ、若いんだからさ、一日二日完徹したからって死にゃしないってば!体力的にきっついかもしれないけど、生命の危機に瀕するまでには至らないってば!そうなる前に、絶対に、睡眠するって!人間だって動物なんだから、そういう、命の危険を回避する、という能力は絶対どこかに備わってるって!
一事が万事、そういう調子なんではないかな。
ほんとにね、なんていうか、南条あやさん達の書いたものを読むと、なんでここまで考えるんだろうとか、なんでこんなふうに追い詰めるんだろうとか、もうね、痛々しい。何かが常にピンッピンに張り詰めてるなーって感じがする。おいらのようなちゃらんぽらんには、到底想像も出来ません。足元にも及ばないどころか、影すら踏めません。
だからね、たくさんの南条あやさん達に言いたいの。とっても。
生きるってことを、そこまで杓子定規に、生真面目に、とらえなくてもいいじゃないか、と。
もっといい加減に、力も気も抜いていいじゃないか、と。
おいらのように全面的にいい加減に生きろ(爆笑)とは言わないけど、生真面目に生きればいいというものでもないでしょう、人生ってものは。
(え?あんたはもう少し真摯に生きなさいって?は、は、は。…大きなお世話だよ!)
―女子高生南条あやの日記―/南条あや/新潮文庫
どこかで南条あやの名前は知っていた、ような気がする。テレビかなんかでやってたかもしれない。
本屋で手にとって、ぱらぱらめくって、なんだよ横書きかよ、と思った。ブログがそのまま本になったみたいだな、と思った。そしてまた、ふうん、そうか、こういうのでも本になるんだな、と。各種の誤解を招きそうですが、やっぱりそう思わずにはいられませんでした。
ただ、本になるというのはいろいろな要素があって、書き手に書く力があるというのもその一つではあるけれども、それが絶対条件ではないのかもな、と。そう、本を出す、ということが、イコール作家になる、ということではないんだな、と。まあね、それはほら、タレントのように職業欄に「作家」とか「文筆業」なんて書かない人が本出したりするわけですから、今に始まったこっちゃないんですけれども。て、いや、そういう事を語り始めると長くなりますから割愛しますけれども、さ。
えー、とっとと感想に参りたいと思います(笑)。
おいらね、こうしてネットに参加するようになってもう、何年?少なくとも5年以上は経ってるんですけれども、その間に、何人かの自傷(←これ一発で変換しなかったよ、おいらのPC。時勢に乗れてないねえ/苦笑)行為をする人や、自称、精神を病んでる人の文章を読みました。もちろん、そういうのがすべてではない、ということを大前提としますが、押し並べて皆さん、文章が上手いんですよ。技術的にどうこう、というよりも、読ませる文章なんですな。まあそれはこっちが読む態勢になってることもあるけれども、ついつい、目が追ってしまう。フィクションもノンフィクションも、日記も小説も詩も、その表現方法は様々ですが、やはり最終的に自己の内面を吐露したものになるわけで、おいらはそこに惹かれていたのかもしれません。
おいらにはないよなあ、と。
年齢的な事も含めて(はい、ここ笑いドコロね)、おいらは、多分この南条あやさんのような人達、前述した人達のことですが、そういう人達とは決定的に違う部分があります。
おいらはそこまで研ぎ澄まされていない。
そこまで過敏ではないし、そこまで気を遣っていないし、そこまで思い詰めていない。
早い話が、鈍感で我侭で図太いっちゅーことなんだけどもな!
おいらがB型女であるということも、その要因の一つではあるだろうけどもさ!
たとえば、眠れなくなって、それが一つの服薬のきっかけだったりするでしょう?いやもちろん、それが全部ではないし、経緯だっていろいろあるけども、ま、あくまで一例としてね。そうすっとおいらはものすごく単純に、眠れないことをそれ程病的にとらえる必要があるのか?とまず思うわけよ。あ、断っておきますがおいらは不眠症のなんたるかは知りませんし、当然、罹患(こういうのも罹患といっていいんだろうか)したこともありません。的外れを承知で書きなぐっておりますよ。
何事にも始まりというものがあるとして、不眠症だって、最初からいきなりギンギンに眠れないんだよ三日も四日も、てなことではなく、最初は寝付きが悪いとか、寝てもちょっとしか眠れないとか、そういう事がスタートではないかと想像する。で、おいらがこうなったとして。寝付きが悪いなら、寝付けるまで起きてたらいいじゃん、と思うのな。それを気にするあまり、もっと寝付きが悪くなる方がヤバいと思うので、最初の段階で場外(笑)に出ちゃうの。是正しようとか考えないでな。多分、それが決定的な違いなんだろうなと思う。
おいらが小学生の、3年くらいかな、の頃にね、なかなか寝付かれない夜があったんですよ。当時おいらは9時就寝。いつもなら30分もしないうちに眠りについてたんだけれども、何がどうしてそうなったんだか、目をつぶっても、ウソ寝しても、ちっともさっぱり眠れない。そのうちにだんだん目が冴えてきて、あららら、目覚まし時計は日付が変わる頃の時刻を示しております。やばい、眠れない、バレたら怒られる。そこへ母上が様子を見に来ます。二階ベッドの下の段で妹は健やかな寝息、おいらは上の段で不健康な鼻息(笑)。
「起きてんの?」「(げ、まずい、ばれてる)…うん。全然寝られへん」
それに対して我が母のコメント。
「ふうん。ええやん、寝られへんねやったら寝んでも」
なんですと?
「無理に寝ようとするから余計寝られへんねん。横になって寝られへんねやから、座っときなさいよ」
…はい?
「座って目つぶってじーっとするだけでも、体は休まるからだいじょぶ、だいじょぶ」
…だいじょぶ、て何を根拠に?ていうか何がだいじょぶなの?
「ほな、おやすみ」
…え?
てっきり大目玉の小言山盛りだと思っていたおいらは、大いに肩透かしをくらいました。なあんや、寝られへんかったら別にぎっちぎちに寝んでもええんや。
以来、おいらは不眠症とは縁がありません。
南条あやさん達は、おそらくその初期の段階で、決まった時刻に眠りにつけないとか、決まった睡眠時間がとれないとかいうことに、かなり生真面目に対処しようとするんではないか、と想像する。皆さ、若いんだからさ、一日二日完徹したからって死にゃしないってば!体力的にきっついかもしれないけど、生命の危機に瀕するまでには至らないってば!そうなる前に、絶対に、睡眠するって!人間だって動物なんだから、そういう、命の危険を回避する、という能力は絶対どこかに備わってるって!
一事が万事、そういう調子なんではないかな。
ほんとにね、なんていうか、南条あやさん達の書いたものを読むと、なんでここまで考えるんだろうとか、なんでこんなふうに追い詰めるんだろうとか、もうね、痛々しい。何かが常にピンッピンに張り詰めてるなーって感じがする。おいらのようなちゃらんぽらんには、到底想像も出来ません。足元にも及ばないどころか、影すら踏めません。
だからね、たくさんの南条あやさん達に言いたいの。とっても。
生きるってことを、そこまで杓子定規に、生真面目に、とらえなくてもいいじゃないか、と。
もっといい加減に、力も気も抜いていいじゃないか、と。
おいらのように全面的にいい加減に生きろ(爆笑)とは言わないけど、生真面目に生きればいいというものでもないでしょう、人生ってものは。
(え?あんたはもう少し真摯に生きなさいって?は、は、は。…大きなお世話だよ!)
いいのかないいのかないいのかな?してますが(笑)
かの有名な南条あやさんの御本ですね
確かあたしがまだ高校生になりたてのころ
本屋さんで見かけて それっきりだったのですが
今こんなに縁深くなるとはまるで思わず(ニヤリ)
感想ぜひ読ませてくださいね!
これだけ言っておいて実は未読です・・汗
ていうか、やっぱりほしのは読んでるだろうなと思ってたんだよなー。
(いや未読なんだけどさ)(笑)
外さないねえ(何をだ)。
感想は、えーと、また今度ちゃんと書きます。
書くよ?書くからね?
でもそれによって先入観を持たずに読んでね、とは思うけど。