オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

「長宗我部三代記 四国制覇の夢」

2008年07月04日 02時48分07秒 | ほぼ、文庫本 2008
長宗我部三代記/羽生道英/PHP文庫

長宗我部元親にはちょっと思い入れがあって。
いやまあ、それはほら、某ゲームで使い勝手がよかったとか、そういうオチなんだけど(苦笑)(しかもそれ、かーなーり!初期のゲームですからー!ファミコンですよ、ファミコン!スーファミですらないって!!)。
そのゲームの時の元親の顔がさー、サテンのマスターっぽくって(そこかよ)。

よく、長宗我部(元親)については
鳥なき島の蝙蝠(梟、とも)
なんてなことを言われたりする、つまりは、四国にそれほど強い相手がいなくて
その中で覇権を握ったとしても、それがナンボのもんじゃい、みたいな(…ち、違いますか)。
んー、まあ、後の世の人からすれば、そう言えなくもないだろうけどもさ、武将個人の力量としてみたときに、それほど劣るものでもなかろう、と思う(思いたい)。
だから、ていうのもあって、長宗我部を書いたものは、他の武将よりもちょっとだけ、手に取る頻度が高かったり(でも買う、までいかない)(爆)、読んでみようかな、と思う度合いが高かったりする。
大体がほら、おいら超メジャー級なところよりも、ちょいマイナー系の方が惹かれるんだもん(え、長宗我部はちょいどころじゃないマイナーですか)(失礼な)。

ですが。

正直、本書は読みづらかったぞー。
もっと小説っぽいかと思ったのに、意外に歴史書ていうか、物語性が薄かった。
書き方だよなー。
たとえて言うなら、おいらは歴史モノに結構食指が動きますが、それはなにも「歴史」を紐解きたいのではなくて、歴史をネタにした「小説」を読みたいのであってね。虚実混じっててもいいからさ。
PHPの武将小説(と勝手に読んでいる)はそらもう、えらい数がありますが、全部が全部小説ちっくなものばかりではないんだった…、てことを、本書を読みながら思い出しました。だから藤堂高虎とか滝川一益とか読まなかったんだもんな(作者忘れたけどな!)。

土佐、といえば、後々、幕末になって大活躍する土地柄であるわけですが、その根っこになることが、この戦国時代にすでに培われているんだなー、と、改めて、歴史ってのは繋がってるものなんだなあ、と思いました。
もうちょっとちゃんと読み込まないと駄目ですが、ざっくり言うと
長宗我部氏は早い話、関が原で徳川方につきたかったのに(とされている)止むを得ず石田方につかざるを得なかった。その後、家康に誠意を認められて(っていうのも、ものっそ口惜しい展開なんだけれども、ま、そこは戦国の世のならい、てやつで)土佐を半分取られただけで許される。
んですが、結局大坂冬の陣夏の陣で豊臣方についたことで、最後は元親の嫡男(長男ではない)盛親が捕らえられて六条河原で斬首刑になり、長宗我部氏は滅亡となります。
その代わりに土佐に入ってくるのが、山内一豊。で、そのずーっと後、幕末の土佐の領主が山内容堂。
そりゃね、土佐の人からすればね、トンビが油揚げをさらいにきた、ような山内一豊よりも、ずーっと自分達の御屋形様だった長宗我部の方に情も恩もあって然り、山内に関してはともすれば反逆の意を抱いても致し方なし、てところがあるわけで。
それがこう、めぐり巡って、坂本龍馬だの武市瑞山だのっていう反幕府側の中心となる人物が生まれる土壌となっていくわけですね(た、多分)。
…学生の頃、歴史をまともにやらなかった人(=おいらだよ、おいら)の頭で理解するのは、ま、こんなもんだ。(え、開き直り)

いずれにしても。
長宗我部氏ていうのは、たとえば四国・土佐ではなく、三好氏の領地であった(はずの)讃岐だの阿波だの、畿内に近い方に存在していたとしたらどうだったろう。あるいは本州にいたとしたら。
…歴史に「たら・れば」はつきもので、言うても詮無いことではあるけれども、ね。

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