昨日3時半に成田に着きましたが、道が混んでいて帰宅したのが7時になっていました。トランクの整理をして洗濯物は明日するよう全て洗濯機に入れ、軽食をして早目に寝ました。今朝もアニーへ行きましたが4日間行ってないので、もうお母さん来ないと思っていないのではないかと不安に思いながら雨の中を行きました。ニャーゴといつもより大きな声を出して出て来ました。嬉しかった!
4日間、待て暮らせど来ないお母さんんを待っていた気持ちを思うと切なくなります。
私もうれしくて思わず抱きしめてしまいました。ごはんもよく食べてくれました。よかった!お互いそう思い合っていたと思います。
チャロも餌をお願いしておいた方が花の水撒きとやって下さり安心して旅行が出来ました。
旅行はシベリヤ鉄道とバイカル湖、ロシアブリヤード共和国4泊5日でした。
アンガラ航空チャター便、78人乗り、日本からのツアー客で満席でした。そのためハバロフスクで行き帰り給油。
アンガラと言う名はイルクーツクにある川の名前です。ロシアは地図で見る通り広大な国ですね。川まで堂々と大きくゆったりして見えます。
第一日目はウランウデへ夜遅く11時に到着。それからホテルで夕食、寝たのは1時過ぎていました。
第二日目 翌日はチベット仏教、ブリヤード人の聖地イボルギンスキーダツアン。そこに祭ってあるイチゲロフの亡骸は見られませんでしたが。
セメイスキエのタルバガタイ村へ歓迎の歌、伝統文化の紹介など楽しみました、そこで頂いた昼食のボルシチは美味しかったのですが蠅があまりにも沢山止まっていたので追い払うのに大わらわでした。この踊りと歌は無形文化財だそうですよ。
最後にロシア正教、古儀式派の教会へ。ベールを被ってのの参拝でした。
それにしてもチベットやモンゴル、中国と国境を接しているためか日本人とそっくりの人たちが大勢いて違和感がなかったでしたよ。
皆ロシア語しか話していませんでしたが。英語は殆ど通じませんでした。
ホテル内の階段はすべて大理石!
レーニンの首の銅像 町の中心にありました
公共の建物
モデルさんに服の着方のデモンストレーション
蠅で往生した美味しかった昼食
チベット仏教の学生たちの寮
パンを夢中になって食べていた子犬
第三日目 シベリア鉄道でウランウデからイルクーツクへ約7時間の乗車。
私は友人と三人で参加しましたがなぜか3人だけ団体から遠く離れた客車で、食堂車の近くだったので3人でビールを飲みながらバイカル湖を眺め美味しい料理を楽しみました。列車は上下二段ベッドの2等車。トイレがあまりきれいでないので便座拭きやら出番が多かったですが。一番の問題はトイレに紙を流してはいけない事でした。ロシアのペーパーは厚くて溶けないそうなのです。
これに慣れるまでは苦労しました。帰国して一番ほっとしている事かもしれません。
食堂車の食事
バイカル湖
レストランの食事
第四日目 バイカル湖クルーズ、博物館、イルクーツク市内観光と盛りだくさんで、夜は食事を少なくしている私にはちょっと胃に負担だったらしく、疲れと胃もたれで日本人抑留者たちの日本人墓地には行けませんでした。終戦記念日でぜひとも行きたかったのに。
バイカル湖近くで働いていたのですね。冬は-25度、酷いときは-45度になるそうです。寒かったでしょうね。合掌。
バイカル湖
バイカル湖の地図
ギリシャ正教寺院
ホテルの窓から見た街並み
この冬寒い土地に野良犬たちが沢山居ました。チベット仏教のお寺には特に沢山いました。子犬も沢山いましたし、これから産むであろうお腹の大きな犬もいました。ホテルの朝のパンをそっと頂いて持参しましたが、狂うように食べていました。御寺で残りご飯を貰っているのでしょうと考えたいです。日本の野良は保健所に送られますからそれを考えたらまだいいのかしらと思うようにしましたが。
どう言うわけか猫には一度も会えませんでした。
第五日目 帰国の日。昨夜から雨と雷がすごかったです。朝四時半ホテルを出発、又同じアンガラ航空機で帰国しました。
ロシアはパイロットが軍部出身者が多いので操縦は上手いですし、安心でした。