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体は不自由でも元気に、家族と助け合いながら過ごす日々

義父が天国へ旅立つまで

2008-12-04 20:16:04 | その他

温かく過ごし易い日でした。

9月17日に入院した義父は2週間程はIVHと食事を併用し体重の増加を目指した結果、体重はかなり増えIVHは外されました。
この頃は元気で「退院する」と言ってましたが2日後には「もう少し入院する」と電話で言ってきました。
9月末頃から食事が食べ難くなりましたがには10月5日の誕生日はお寿司を持って行きました。
でも食べたのは巻き寿司をほんの数切れとにぎり寿司を数貫だけでした。それでも「美味しそうに食べたよ」と言っていたそうです。
その後数日で食事も禁止になり「食べらないと辛い」と話してました。
私がブログに書かなくなった義母は義父に「美味しい果物で作ったジュースを飲ませたい」と子供達と作って持っていきましたが全く飲まなかったそうです。

11月に入ると痛み止めの貼るモルヒネと座薬を併用して出来る限り義父の苦痛を取り除くことになりました。
モルヒネは効果の弱いものや強いものがあるらしく、強いモルヒネを使っている間は意識が朦朧としていたそうです。
私が行った12日は意識がはっきりしていて話しも出来良かった・・と思ってます。
11月の18日頃から尿が出にくくなり医師から「もう数日で・・・」と言われ、24時間の付き添いをする事になり晩はダンナさんが、昼間は子供達が仕事をやりくりして、私の弟にも頼んでました。
でも尿がまた出るようになり医師から「もう大丈夫でしょう」と言われたしダンナさんも体調が悪くなり毎日の24時間付き添いは止めて、ダンナさんは仕事帰りに子供達は時間のある限り付き添いし義母も連れて行ってました。
ダンナさんは付き添いで泊まることはしなくても帰りが真夜中になったり、子供達も真夜中まで病院に居ました。
私はこんな体なので付き添いも出来ず仏壇のご先祖様に一生懸命お経を唱えてましたがやっぱり自分の体が情けなくて涙が流れる日も多かったです。
旅立つ数日前には起き上がることもなくなりましたが医師からは「まだまだ大丈夫でしょう」と言われたので12月の1~2日はダンナさんは出張に行く予定でした。
11月30日が日曜日だったので上の子が義母を病院へ連れていくと2人は手をとりあっていたそうです。

12月1日の午前3時頃電話があり家に残って居た家族皆で義父の病院に向かいました。
病院に着き病室で私は久しぶりに義父の顔を見ました。12日に比べなんと痩せてていたことか・・
温かい義父の顔を触り「まだ早すぎるよ」と話しかけましたがもう息はしなくなっていました。
病室の荷物を子供達に片付けて貰い、私は義父の顔を見たり触ったり子供達に話もしたり・・
下の子と先に家に帰り、着くと5時頃でした。
姉と弟に連絡し6時になるのを待ってお母さんに電話をするとすぐご主人と2人で来て下さいました。
義父が家に帰ってきたのは6時過ぎでした。

少しづつと書いてましたが長くなってしまいました。
(勝手ですがコメント欄を「許可しない」にさせて頂きました)

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