8月22日「真如堂(しんにょどう)」に行ってきました。京都市左京区浄土寺(じょ
うどじ)真如町 「京阪三条駅」より京都市バスに乗換え「錦林(きんりん)車庫前」
バス停で下車歩いて10分ほどです。右は「哲学の道」か、白川通りを左へと。
白川(しらかわ)、雨で濁ってるね。日吉橋を渡ります。
「日吉(ひよし)神社」 真如堂の鎮守社です。 比叡山延暦寺の鎮守社である「日吉
大社」より分霊されこの地に建てられました。
「神猿(まさる)」さんいます。 (^^♪
この坂を上がってと。
ヘビさんいるのね。 おっちゃん畳の上で死にたいのでそんなデンジャラスなことしません。 (^^♪
いい苔 (^^♪ かなり前から石段の機能を果たしてないみたいね。 そらこんだけ
見事に苔ついとったら踏めませんわな。 (^^♪
この上かな。 本堂まで70mと書いてる。
苔フェチにはたまらんですなぁ。 !(^^)!
上からなんか落ちてきた。 一句浮かびました。
しめり苔 ここで尽きるか あぶら蝉
芭蕉翁の 「むざんやな 甲の下の きりぎりす」にまさるともおとらない名句
ですな。 自画自賛 しばし吟行気分 (^^♪
突然、境内でございます。
ここを上がってきました。
木槿(むくげ)かな。
石だたみ いい感じ (^^♪
手水場 お花生けてます。
これも木槿みたいね。青もみじが水の中 風流ですな。 (^^♪
となりは「三重塔」 高さ約30m。文化14年(1817年)再建。
「北参道」から上がってきたみたいね。
この下が「総門」ね。帰りに写真撮るつもりが北参道から再び帰ってしまいました。
ボケボケですな。総門の正面写真はお寺さんのHPで確認をばよろしくです。 (^^♪
「本堂」へお参りします。
「真如堂」正式名称「鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)」
永観(えいかん)2年(984年)比叡山延暦寺の僧「戒算(かいざん)上人」が開山と
伝わる天台宗の寺院です。
本堂に上がります。
風格のある扁額(へんがく)ですな。 (^^♪
本堂内は撮影禁止です。 ご本尊は「阿弥陀如来立像」ご本尊にお願い事をしたところ
三度頷いたという伝説から「うなずきの弥陀」と云われています。 ありがたや (^^♪
本堂をとおり、書院と庭園を観に行きます。 ここから有料拝観です。
本堂裏手。
由緒ありげな「蹲踞(つくばい)」です。
となりにおたぬきさん。 (^^♪
「涅槃(ねはん)の庭」室内は撮影禁止なのでお庭の写真をと。枯山水 (^^♪
1988年「曽根三郎氏」作庭 天龍寺や宝厳院を作庭した方だそうです。
お釈迦様の涅槃図を表現したものです。
そういわれれば、ですな。 (^^♪
室内はきれいな襖絵です。 (^^)/
これは これは モダン (^^♪
「随縁(ずいえん)の庭」
2010年「重森 千青(ちさを)氏」作庭。作庭庭園史研究家。
三井グループの創業者であり三井家の中興の祖と云われる「三井 高利(たかとし)」
が自らの墓所(1694年5月29日死去)と定めその後三井家の菩提寺なったのが「真如堂」
です。三井家の家紋「四ツ目結(むすび)」をモチーフとしたお庭です。
これが基本型ですな。それまで檀家のなかった真如堂の初めての檀家さんだそうです。
越後屋さん時代からの付き合いなのね。 (^^♪
いい苔 いい緑 !(^^)! 紅葉で有名なお寺さんですが、緑もいいですな。
おっちゃんこの苔おかずに茶わんに3杯くらいごはんいただけそうです。!(^^)!
本堂を出ました。
境内をぶらぶら。
本堂前 なんかオブジェみたいなもんが。
「京都 映画生誕の碑」
マキノ省三氏の第一作目「本能寺合戦」が撮影されたのが真如堂だそうです。
一服するとこね。
「齋藤利三(さいとう としみつ)」明智光秀の家臣、娘さんが春日の局です。山崎の
戦い後、とらえられて六条河原で処刑されました。その友人である絵師の「海北友松
(かいほう ゆうしょう)」と当時真如堂の住職で千利休の弟子でもあった「東陽坊
長盛(とうようぼう ちょうせい)」が夜間に遺骸を盗み出しここに葬りました。
ここから手をあわせてと。
本堂横
天台宗開祖「傳教(でんぎょう)大師巡錫(じゅんしゃく)之像」
巡錫とは僧が錫杖を持ちながら各地を巡り歩いて教えを広めていくことです。
ちょっときびしいお顔ですな。 そらしんどいわな。(^^♪
雨あがり 夏の苔 手水の緑 (^.^)/~~~
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