12月23日「水間寺(みずまでら)」に行ってきました。大阪府貝塚市(かいづかし)
水間 南海電車「貝塚駅」から「水間鉄道」に乗換え、終点の「水間観音駅」下車
歩いて10分ほどです。
東出口より水間鉄道へ。連絡階段に朱幕、寺紋の「左三つ巴」が描かれています。
「住吉大社」さんとコラボ。 南海つながりね。 (^^♪
「水間鉄道株式会社」貝塚駅~水間観音駅間 5.5㎞10駅 大正13年(1924年)創業。
繊維・紡績産業で栄えていた貝塚市の地元有志の寄付金で水間寺への参詣鉄道として
設立されました。会社更生法申請などの紆余曲折を経て現在は「グルメ杵屋」の完全
子会社として運行しています。
初めて乗ります。十二支 いいね。 (^^♪
これからお参りにいきましょい仕様の駅になっています。そうねそのために造った
鉄道だもんね。 (^^♪
09:10 駅に着きました。開業当時からお寺さんにちなんだこのデザインだそうで、
平成11年(1999年)に登録有形文化財として登録されています。
右の人形のイラストは「厄除け十六童子(どうじ)」ドージーズ。解説は後ほど。(^^♪
ここまっすぐね。水間街道を歩いていきます。
「水間街道」 貝塚駅付近から紀州街道に抜ける水間さんへの参詣道、生活道です。
「厄除け橋」にきました。 山門がないですな。ここが入口みたいね。
龍谷山(りゅうこくざん )水間寺 天平年間(729~749年)に聖武天皇の勅願によ
り開基、行基が開山したと伝わる天台宗の別格本山。御本尊は「聖観世音菩薩」厄除
けのお寺さんです。「水間観音」は通称です。(^^♪
「観音像」お賽銭をと。
手水場。 身を清めてと。 (^^♪
「三重塔」天保5年(1834年)再建。明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重塔です。
井原西鶴の「日本永代蔵(えいたいぐら)」に書かれている塔のモデルだとか。(^^♪
年季入ってるパネル。 (^^♪
水なかみは 清き流れの 水間寺 願う心の 底は濁らじ (ご詠歌石碑)
ご詠歌とは、仏教の教えを 五・七・五・七・七の和歌にして、旋律に乗せて唱える
ものです。 ありがたや。 (^^♪
「相輪(そうりん)」のそばを、鷹さんみたい。 ありがたや。吉兆かな。 (^^♪
「自動車御祈祷所」
それでは「御本堂」へ。天正3年(1585年)の秀吉の根来攻めにより伽藍はすべて灰燼
に帰しました。現在の本堂は文政10年(1827年)岸和田藩主「岡部長愼(おかべ な
がちか)」により再建されたものです。
扁額も長愼さんが揮毫したのね。
お賽銭をと。
全身おさすりしてと。すりすり。 (^^♪
ここで「ドージーズ」の説明をと。行基がお告げにより観音菩薩を求めて彷徨ってい
たところ十六人の童子が現れ、二つの川が合流するこの「水間」の地に案内されまし
た。さらに滝に導かれそこから龍神があらわれて観音像を授けられたとか。約1300年
前の伝説です。 (^^♪
地元の「土の子陶房」さんがミニフィギアと像を作成しました。ミニフィギアは
1200円です。 (^^♪
駅からお寺さんまでの道に置いてるということで探しながら歩いたのですが、見当た
りません。帰ってからMAPを確認したら置いてあるのは裏参道でした。残念 (^^♪
これは境内にある童子です。「善財(ぜんざい)童子」 右は脇導師(わきどうし)、
つきそいの人ですね。(^^♪
他に「金財(こんざい)童子」・「計升(けいしょう)童子」・「酒泉(しゅせん)
童子」・「船車(せんしゃ)童子」などなど総勢十六体です。
「愛染堂(あいぜんどう)」愛染明王を祀るお堂、縁を結び福を与えると云われて
います。
「お夏清十郎」お夏さんがここで祈って清十郎と結ばれたのね。 井原西鶴や近松門
左衛門の作品のモデルとなった実在の人物の駆け落ち事件です。史実は清十郎は刑死
、お夏は行方不明のドロドロの結末みたいね。 (^^♪。
なるほど。 (^^♪
お二人のお墓。
飛び地境内あるのね。 (^^♪
右に行くと飛地境内のお堂、左はお手洗い。お手洗い行って帰ろう。 (^^♪
厄落とす 水間の寺は 龍が待つ (^^)/~~~
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます