ストローハットの行ってきました

あっちこっちお出かけ写真です。

大和郡山盆梅展

2024年02月21日 | 奈良県

2月18日「大和郡山(やまとこおりやま)盆梅展」に行ってきました。 奈良県大和
郡山市城内町(じょうないちょう) 近鉄橿原(かしはら)線「近鉄郡山駅」から歩
いて15分ほどです。 地名からして城下町やね。 (^^♪



09:20 駅に着きました。 15分ほど歩いた所にJR関西線「郡山駅」があります。JR

より近鉄のほうが利用客は多いですが、後発の駅なんで敬意を表して頭に「近鉄」を
つけたのかな。「近鉄奈良駅」も同じパターンかな。知らんけど。 (^^♪




線路沿いをと。 交番ですな。 (^^♪



「近鉄郡山駅前交番」いいフォルムやね。プレートの文字もすばらしい。 (^^♪ 
城下町の駅前交番に相応しい。扉はわざと古めかしくしてるのかな。 



石垣が見える。 県道144号大和郡山三橋(みつはし)線を北へ。
この辺りは「二の丸跡」です。



たくさん書いてある。 (^^)/




郡山は金魚の町です。そしてこの時期は&雛まつり&盆梅の町です。 (^^)/



近鉄郡山駅には4年ぶりです。その時は「大和な雛まつり」を見にきました。




「鉄御門(くろがねごもん)跡」をお濠へ。



壕に映る櫓(やぐら) (^^♪





ここからね。「柳澤(やなぎさわ)神社」の鳥居を入ります。



梅林が見える。 (^^♪



「郡山城跡」10世紀後半に郡山衆により築城されたという記録があります。その後、
秀吉の弟「大和大納言秀長」により改修され、その領国であった大和・紀伊・和泉 
100万石の中心となったお城です。明治6年(1873年)明治政府の命令により廃城。
令和4年に国の史跡に指定されました。



柳澤神社へ。旧藩士有志により明治13年(1880年)創建。



御祭神は「柳澤 吉保(よしやす)公」なるほど、甲府から転じた息子の吉里(よし
さと)が郡山藩の初代藩主だったのね。



お参りしてと。時代劇ではあまり良いようには描かれていませんが、領民である甲府
の民に慕われたなかなかの名君であり文化人だったみたいですな。「でっち上げられ
た悪徳大名」説もあるとか。 (^^♪




境内より、良い眺め。 梅林が見える。 (^^♪





それでは梅林&盆梅を見に行きます。



「郡山城天守台跡」標高81m 天気の好い日は、東大寺大仏堂、薬師寺、興福寺五重
塔などが見えるそうです。 大仏堂 < 階段しんどいがな  なのでやめとこ。 (^^♪




「極楽橋」 往時はこの橋が本丸へ登城するための正式な出入口でした。




令和3年3月12日完成式典実施 長さ22m、幅5.5m 寄付金3億円などを工事費にあて
150年ぶりに再建です。 (^^♪



「毘沙門曲輪(びしゃもんくるわ)跡」付近。いい枝ぶり。いい四阿(あずまや)。
橋の再建工事と並行してこの辺りの庭園改修工事も行われ、四阿の完成は同年10月
です。




しだれ梅  (^^)/





コスプレ撮影会。お母さんの云うこと聞いてポーズとってあげてね。(^^♪



お行儀いいね ワンだふる。 !(^^)!



見ごろです。 満開です。 !(^^)!






「久護門址(呼称不明)」 



それでは会場へ。通常は非公開の「追手門」・「追手向櫓」・「多聞櫓」が会場とな
っているそうですが、それぞれの正確な位置がよくわかりません。 (^^♪

  

盆梅 外置き。 (^^♪



たぶん「追手門(おおてもん)」へ。



「第二十一回 大和郡山盆梅展」 120鉢の盆梅です。 !(^^)!



見事ですな。



おそらく「多聞櫓(たもんやぐら)」へ。



(^^♪



間違いなく ベランダへ。


おおかた「追手向櫓(おおてむかいやぐら)」に。 



幹がこんなになっていても華は咲くんですな。




会場から休憩処に出てきました。縁台の上に何か飾っている。 (^^♪



梅の花弁(はなびら)きれいね。映えるね。  (^^♪



こちらのスタッフの方が小皿を持って花弁を摘み取っていたのは、これだったのね。



ちょっといっぷく。 (^^♪



おっちゃんの大好物の被写体ですな。ありがとさんです。 (^^♪



梅のトンネル。 !(^^)!





城の址 梅は浮かんで 縁台に  (^^)/~~~




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