Do you really dream of jumping sheep?
(ども 火星人です。レイシストお断り)
Martian Official Weblog



共感することはいいことかもしれないけれど出来ないものは出来ないんですよね。
それと寛容になることは別であろうと思います。
別に東叩きの延長戦ではなくて、せっかくだから真面目な話をすることにしたのです。

ここのブログでも過去に取り上げていますが「火星の人類学者」という本がありまして、いろんな「感覚」の人たちが出て来るんですね。
アスペルガーから自閉症に、脳の損傷を受けて色がわからなくなった人であるとか、共感できる人もいるかもしれないけれどそもそもその感覚が「わからない」ですよ。
個人レベルだろうがなんだろうが共感からはじまるわけないんです。
もしも共感からしか始まらないならいつまでも始まらないです。

別に共感しなくたって、寛容にはなれますね。
まずは「関心を持つ」とか「知る」ところから始めればいいんですよね。
東のこれって「個人/実存レベルでの寛容は共感から出発するべきだけど、指数関数的に連鎖するマクロな社会というレベルでは寛容は一定の無関心から出発するしかしない。」東があまりに時事問題に無理解であることを突っ込まれるので、なんだか謎の言い訳したのだろうと思いますが、当然、世の中のすべての問題に強い関心を持って詳しく調べたりできるわけはないのです。
だからそういうことを言いたかったのでしょうけどね、まあ普通に見て言うことがアホすぎるから突っ込まれてるだけなので、わからない事問題については沈黙すればいいのですよ。
「語り得ぬことには沈黙しなければならない」を実践すればいいのです。東の場合は。

でも実際の問題として、インターネットをやっていたら差別というものは目の当たりにしますからね。
それがまるっきり他人事になるあの感覚には1ミリも共感できません(笑)
あまり寛容にもなれませんが。

しかし、「指数関数的に連鎖するマクロな社会」って見れば見るほどおかしい(笑)
なんか一瞬「エクセル」でも思い浮かべたんですかね。それで連想した単語などを並べてみたとか。
マクロという言葉の性質上、指数関数的に連鎖するものがマクロな社会であったらおかしいし、そもそもマクロな社会って何や?

それはおいといて、
日本の場合、無関心な人が多い理由としては、「社会問題」を知らせる役割を担っているメディアが機能していないことがありますね。
これは本当に大きくて、他の国だと捕まったり殺されない限りジャーナリストは権力と戦うんですが、日本は最初から試合放棄しています。
そもそも「ベッタリ」なところもありますからね。
読売とか。
これが何とかならない限りは、まともな国にはなっていかないのではないですかね。
テレビでもう少しまともなニュースをやれば東だってもう少し関心を持つかもしれないわけで。

1985年ごろ
Duran Duran - The Reflex

Duran Duran - A View To a Kill

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