そうですそうです。
「みんなの学校」を観て改めて思いだした事。
それは今、紙風船がある建物のこと。
この建物は、現在は1階が主に紙風船の活動場所。
2階が精神障がい者のグループホーム「遊友荘(ゆうゆうそう」(定員男性10名)となっています。
1階と2階は別組織であり、法人も違います。
それでも、いつも遊友荘のみなさん(入居者および職員みなさん)には紙風船の活動に理解をしていただき、多くの協力を得ています。
平成12(2000)年に設立した遊友荘ですが、設立までには長い道のりがありました。
当時北海道では、精神障がい者の暮らす施設は全て郊外。市街地には皆無だったそうです。
この建設までの道のりはNHKの「人間ゆうゆう」という福祉番組でも取り上げられたことがあります。(このブログでも、少し触れました。→こちら(1))
いわゆる、強固な設立反対運動が起こった経過があるのです。
当初の強い反対姿勢だけでなく、話しが進むにつれ「反対するにしても、本当のところをみなくちゃ。」という意見が出たと聞きました。
そして当時の町内会長、そして建設反対代表者が千葉県にある同様の施設に視察に行かれ…
その報告を受けた町内会地域住民の皆さんの思いに変化が表われ…
遊友荘は無事に建てられました。
映画「みんなの学校」の中でもこういう場面がありました。
「噂の〇〇君が大空小学校に転校してくる。」
この「噂」とは、地域にまで広がっている噂であり「〇〇君が来るならば通わせられないと考える親御さんもいる。」とか…。
「精神障がい者が地域に暮らしたら、何をされるかわからない」
「精神障がい者の暮らす地域は、資産価値が下がる」
…これは、残念なことに遊友荘建設当時も、そして今も他地域では言われている言葉だと聞きます。
大空小学校では、校長先生が前の学校からの引継ぎ文章を読み上げました。
いわゆる「問題行動ばかりを起こす子ども」の内容です。
校長先生は続けて言いました。
「…というのが、以前の学校からのものです。でも先入観を持たず、大空の子として見ていこう。」
情報は情報。でもそれに捉われず、自分たちの目で見るという事。
遊友荘設立の時も、それまでの「噂」や「情報」に振り回されず、「市街地で暮らしている本当のところを見にいこう」という意見が無かったら、出た意見を町内会として受け入れて下さらなかったら、…遊友荘の今は無いように思います。
映画の中では、こういった活動を30年続けたら「あたりまえ」「そういうもの」になっていくとのこと。
遊友荘は今年で16年。
「あたりまえに暮らす」は定着しています。
未だ続いている「遊友荘運営委員会」では、数年前からは「就労サポートセンター紙風船」についても町内会幹部の皆さんに経過報告をしています。
「企業を見つけるのって、大変でしょう?」
「どんな会社で勤めているの?」
こんなお声を聞くと、嬉しく思います。
だって、就労は、地域生活があった上でのこと。
病気や障がいをもつ方が「地域で暮らす」があたりまえとなり、
そして「働く」もあたりまえに選択できるように…
明野柳町町内会からもっと地域へ、そして社会へ広げていけるよう取り組みを継続していきたいと思います。
いずみまさこ