博多住吉通信(旧六本松通信)

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李王朝と宗家の婚姻 2

2016年12月23日 | 歴史

 昨日ご紹介した詩文の作者宗武志氏は、李氏朝鮮の最後から2番目の皇帝(1897年に国号を大韓帝国に改称)高宗の王女徳恵翁主(翁主は日本語で王女の意味です。日常では李徳恵と名乗っています)と1931年に結婚しました。上の写真はその婚姻の記念碑で厳原地区にあります。記念碑には婚姻が不幸な結果に終わった事情が記されています。碑文にははっきり書かれていないのですが、王女が心の病にかかって、最終的には武志氏と離婚して戦後韓国に帰ったそうです。そして1989年4月21日に76歳で死去しています。

 『徳恵姫 李氏朝鮮最後の王女』(本馬恭子著)には、婚姻の詳しい事情が記されていますが、王女は12歳で学習院に留学し、1962年に帰国するまで37年間を日本で過ごしています。同書の記述では王女の留学自体が日本による韓国併合後に李朝の皇族を日本人に同化するための帝国主義政策であったことが描かれています。武志氏と王女は仲睦まじかったそうですが、韓国の人々にとっては許しがたい出来事だったようです。しかし対馬の人々にとっては慶事であった訳で上の写真のような記念碑と婚姻時には記念の椿の植樹(下の写真です。椿の実です)なども行われています。

 このように宗家と李朝は20世紀にいたって、遂に一族の間で婚姻をしています。これを歴史的にどのように評価するかは難しい問題です。一つ確実なことは20世紀にいたっても宗氏は日韓関係の政治的影響を受け続けたということです。 


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