博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

誰のための忠義か

2009年01月22日 | 読書・映画
 4年ほど前、東京のある私立大学に在籍しているベルギーの留学生と知り合いになりました。その留学生と都内で食事をしているときに「なぜ現代の日本人は"武士道"を失ったのか?」という質問を受けました。なかなか難しい質問である上に、この方は日本語は全く出来ない方でした。大体武士道と言う概念について私自身も良く知っている訳でもないのです。江戸中期佐賀藩の山本常朝の『葉隠』の「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」の一節や、幕末に幕臣山岡鉄舟が『武士道』を著したこととか、明治時代に新渡戸稲造がアメリカで日本人の倫理観を説明するために『武士道』という本を著したこととか、それが日本に逆輸入されて評判になったこととか、その程度の知識しかありませんでした。
 だから「良く知らない」と答えたのですが、それでも「あなたはどう思いますか」と聞いてきます。仕方が無いので私なりに乏しい知識で考えたことを話しました。英語で説明するのは大変です。
 私は「武士道という概念は、おそらく欧米ではnoblesse oblige(高貴なる義務:フランス語)がそれに近い概念だと思います。それは貴族階級の倫理観で、貴族が特権と引き換えに倫理観を独占していたとも言えます。人口の多数を占める庶民は政治的権利からも倫理からも遠ざけられていた。日本でも同じことで人口の1割程度の武士階級が倫理観と引き換えに政治的権利を独占していたのです」と言いました。
 「したがって政治的な権利と義務が全国民に行き渡った現代では倫理観を社会の一部の人口が独占することは不適当だと言えます。武士道と言う倫理観も意味を失ったのです」こういう話をしました。
 うまく伝わったかどうか良く分かりませんでしたが、一応納得していただけたようです。
 イギリスなど民主主義ではあるが貴族制度が現存している国では、今でも高貴なる義務が貴族に課せられているという話は聞きます。英王室のヘンリー王子がアフガニスタン派遣軍に一軍人として参加したといった話もあります。しかしそれも一般国民の権利と義務と矛盾しない範囲の話です。
 以上のような話を当時できたのは、どうも30年も昔に読んだ昨日ご紹介した「最後の隠密」の話が脳裏に残っていたから出来たような気がするのです。

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