正月に実家の物置から私の蔵書が山のように出てきました。私が中学1年から大学を卒業する頃までの約10年間に読んだ本でしたが、宅急便の中サイズ段ボール箱で16箱分位ありました。古本屋に売る分と取っておく分で選り分けても、10箱分位残りました。そのうち8箱分を石川に送りました。
その中にあったのが写真の小松左京著「最後の隠密」(角川文庫1977年)です。小松さんは中学から高校の頃随分読みました。小松さんの本だけで30冊位ありました。今は絶版になってしまったハヤカワ文庫とかの版ですね。
「最後の隠密」は短編集で、表題作はタイムスリップ物でした。小松さん自身らしきSF作家の自宅の風呂桶にある日突然一人の古色蒼然とした扮装の老人が出現します。ずぶ濡れの老人は旧幕府御庭番の小坂了介と名乗ります。小坂老人は、明治元年十月末、官軍が占拠した江戸城内に天璋院の密命を受けて潜入しますが発見されて堀に飛び込んだ所、なぜか20世紀の民家の風呂桶に現れたという奇想天外な話です。
小松さんらしき主人公はこの奇禍に大喜びで、小坂老人に幕末の事情をインタビューします。一方小坂老人も肝が据わっていてこの奇禍にも動じるところがありません。逆に明治維新以後の日本の近代史を主人公から聞いていきます。そして現代の日本には「忠義」という概念が存在しないことを知って愕然とします。幕府への忠義で生きてきた小坂老人には理解できない世界になっていたのでした。主人公に忠義という概念が無い現代日本がもし理不尽な侵略を外国から受けたら、日本人は何を拠り所に闘うのかと主人公に質問します。それに対して小松さんらしき主人公は、たとえ忠義という概念が無くても現代の日本人は不正には断固とした態度を取るだろうし、むしろ江戸時代の日本人は忠義を少数の武士階級が独占していて、それ以外の多数の民衆は忠義から疎外されていたのではないかと反論します。
しかし小坂老人は、そうした社会の変貌をどうしても理解できず物語は悲しい結末を迎えます。
この話を読み返していて、私はある人との4年ほど前の会話を思い出しました。(続く)
その中にあったのが写真の小松左京著「最後の隠密」(角川文庫1977年)です。小松さんは中学から高校の頃随分読みました。小松さんの本だけで30冊位ありました。今は絶版になってしまったハヤカワ文庫とかの版ですね。
「最後の隠密」は短編集で、表題作はタイムスリップ物でした。小松さん自身らしきSF作家の自宅の風呂桶にある日突然一人の古色蒼然とした扮装の老人が出現します。ずぶ濡れの老人は旧幕府御庭番の小坂了介と名乗ります。小坂老人は、明治元年十月末、官軍が占拠した江戸城内に天璋院の密命を受けて潜入しますが発見されて堀に飛び込んだ所、なぜか20世紀の民家の風呂桶に現れたという奇想天外な話です。
小松さんらしき主人公はこの奇禍に大喜びで、小坂老人に幕末の事情をインタビューします。一方小坂老人も肝が据わっていてこの奇禍にも動じるところがありません。逆に明治維新以後の日本の近代史を主人公から聞いていきます。そして現代の日本には「忠義」という概念が存在しないことを知って愕然とします。幕府への忠義で生きてきた小坂老人には理解できない世界になっていたのでした。主人公に忠義という概念が無い現代日本がもし理不尽な侵略を外国から受けたら、日本人は何を拠り所に闘うのかと主人公に質問します。それに対して小松さんらしき主人公は、たとえ忠義という概念が無くても現代の日本人は不正には断固とした態度を取るだろうし、むしろ江戸時代の日本人は忠義を少数の武士階級が独占していて、それ以外の多数の民衆は忠義から疎外されていたのではないかと反論します。
しかし小坂老人は、そうした社会の変貌をどうしても理解できず物語は悲しい結末を迎えます。
この話を読み返していて、私はある人との4年ほど前の会話を思い出しました。(続く)