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博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

『超音速にいどむ』の思い出

2020年12月10日 | 思い出

 私が小学校3年生の時に、学校の図書館で、偕成社「少年少女世界のノンフィクション」というシリーズを発見し、1年ほどの間片っ端から読み耽っていました。『ノーチラス号北極潜航記』、『コンチキ号漂流記』、『アマゾンに消えた探検隊』等々を放課後に夢中になって読んでいたことを、今でもよく覚えています。このシリーズは残念ながら現在は絶版になっているようです。そのシリーズの中に『宇宙飛行70万キロ/超音速にいどむ』(チトフ 著 ; イーガー 著 ; 福島正実 訳 ; 依光隆 絵 1964年 上の写真です)がありました。1961年8月6日にボストーク2号に搭乗し地球を17.5周(飛行距離約70万キロ)した旧ソ連の宇宙飛行士ゲルマン・チトフと、1947年10月14日にロケット機ベルX-1を操縦し、世界で最初の有人水平超音速飛行を達成したチャールズ・エルウッド・"チャック"・イェーガーの物語でした。そのチャック・イェーガー氏が、12月7日にロサンゼルスの病院で97歳でお亡くなりになったというニュースを知りました。氏が超音速飛行を行ったのは実に73年前のことです。私が氏の物語を読んでわくわくしていたのが51年も前のことです。つい最近まで氏が健在だったことに驚きました。同書の内容はさすがに良く覚えていませんが、ベルX-1が母機のB29から切り離され、ロケットエンジンを噴射し音速を超えた瞬間に機外の音が聞こえなくなり、静寂の中で目の前の計器がカチカチいう音だけが響いていたという表現を、かすかに覚えています。この超音速飛行は、現在のNASAの前身である米国国家航空宇宙諮問委員会(National Advisory Committee for Aeronautics:NACA)の計画によるもので、宇宙飛行への第一歩となる事業でした。

 チャック・イェーガー氏は、1983年のアメリカ映画『ライトスタッフ』の前半部の主人公としても有名です。イェーガー氏はこの映画の中でも様々なエピソード(肋骨の骨折を隠して操縦したことなど)が紹介されていますが、ほかにも様々な途方もないエピソードがありました。超音速飛行65周年を記念して、2012年10月14日にネバダ州の空軍基地で戦闘機F-15Dを操縦して超音速飛行の再現を行ったそうですが、この時氏は89歳です。すごすぎる!ほかにも第二次世界大戦中、18歳で米陸軍の戦闘機パイロットに志願し、エースパイロットの称号を授かる功績をあげるのですが、途中撃墜されたものの、仏レジスタンスの助けを受けドイツ軍の追跡を振り切って敵地からの脱出に成功するとか、自分はプロペラエンジン機を操縦しながらドイツ空軍の最新鋭ジェット戦闘機Me262を撃墜するとか、数々の信じられないようなことをやってのけていました。米空軍退役後はNASAのテストパイロットとアドバイザーとして、1986年に起こったスペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故調査にも携わっていました。

 世の中には本当にドラマチックな人生を送る人物もいるものです。宇宙への道を拓いた氏のご冥福をお祈りします。


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