
さて三日間、湯田温泉井上公園の可愛らしいきつね像の紹介をいたしましたが、この旧井上邸では幕末に流血の事件が起こっていました。井上馨(当時の名前は聞多)は幕末に長州藩の急進派として活動していましたが、1864年(元治元年)9月25日に反対派の刺客に襲撃され重傷を負います。この井上邸に運ばれましたが、急遽駆け付けた長州藩の医師にも手が付けられないような深手だったそうです。そこに美濃出身で、歴史的に有名な大阪の適塾で西洋医学を学んだ所郁太郎が駆けつけ、約50針に及ぶ縫合を行い井上を救命したという史実があります。所医師は、その時、手術道具を持っていなかったので、井上邸にたまたまあった畳針で縫合したそうです。その場面を想像すると、おそらく井上邸内は井上の血で真っ赤に染まっていたのではないかと思うのです。上の写真は井上公園内に設置された所医師の顕彰碑です。
所医師は長州藩士ではなかったにも関わらず、幕府の長州征伐に対抗するために長州軍に志願しますが、この事件の半年後に27歳の若さで病没します。私はこのエピソードを中学3年生の時の国語の教科書で読んだ記憶があります。故司馬遼太郎さんの「無名の人」という短編で『中学国語 二』(学校図書)に掲載されていました。所医師が長州藩で尊王運動の志士として活動した期間はわずか2年間だったそうなのですが、それでも日本史に残る人物になったということに15才の私は大いに感銘を受けていたのでした(もう47年も昔のことなのですが)。