
(昨日の続きです)
プーチン大統領はNATOの東方拡大について病的ともいえる恐れを抱いています。ソ連が崩壊し30年が経過した21世紀の現在、NATO軍がロシアに侵攻する可能性など皆無だと私たちは思っているので、プーチン氏の懸念はいかにも不自然に見えます。一体プーチン氏の懸念は何に由来するのでしょうか?それは昨日、本ブログでご紹介したNATOの歴史に由来するのかもしれません。
NATOの結成が1949年で、ワルシャワ条約機構(WTO)の結成は1955年という具合にタイムラグがあります。当初、旧ソ連を中心とする東側諸国がNATOの結成に直ちに脅威を感じた訳ではないということが、このタイムラグから分かります。NATOの組織目的が元々、必ずしも対ソ軍事同盟ではなかったということは昨日解説しました。では何にソ連が脅威を感じたかと言いますと、再軍備した旧西ドイツ(再統一する前のドイツ連邦共和国)が1955年にNATOに加盟したという事実に対してです。再軍備した西ドイツをソ連に対して英米仏など西側諸国が嗾(けしか)けるのではないかという懸念をソ連指導部(具体的には当時のソ連の最高指導者フルシチョフ)が感じたということです。ソ連に未曽有の被害を与えた独ソ戦が終わって十年にしかならない当時としては杞憂とは言えない懸念でした。もちろん西側諸国もナチス復活の芽を徹底的に摘むために新生西独連邦軍はNATOの枠組みに雁字搦めに縛られたのですが、ソ連指導部には西側諸国の忠実な番犬にしか見えなかったのでしょう。ドイツをソ連の防波堤にするという戦略は、第二次世界大戦前の英仏両国の基本戦略だったので、ソ連指導部にしてみれば「またか」という思いだったでしょう。この英仏両国の基本戦略が表面化したのが、1938年9月に行われた「ミュンヘン会談」(上の写真です。ウィキペディアから引用)でした。ドイツ系住民が多数を占めるチェコスロバキア・ズデーテン地方のドイツへの帰属を主張したヒトラーに対し、イギリスのチェンバレン首相(上の写真の一番左側の人物)とフランスのダラディエ外相(左から二番目の人物)は、これ以上の領土要求を行わないことを条件に、ヒトラーの要求を全面的に認めたのでした。チェンバレンとダラディエは、ここでヒトラーの機嫌を取っておけばドイツの矛先は、この後はソ連に向いてくれるだろうと考えていたのです。もちろん、その期待が裏切られたことは誰もが知っていますが。
とはいえ冷戦体制が終焉して30年が経ち、1990年に新生した統一ドイツがロシアの敵になる可能性は年を重ねるごとに減少していったことも事実でしょう。いや遥かそれ以前の1970年代の西独ブラント政権の時代からそういう傾向は始まっていたし、そうであればこそゴルバチョフはドイツ統一を承認したのでしょう。現在のドイツにもネオナチ集団は存在しますが、彼らがドイツの政権を握る可能性は限りなく低いことも事実です。東独に長期間駐在したプーチン氏にもそれは良く分かっているはずです。やはりWTO解散後もロシア敵視を止めようとしない西側諸国への不信感を募らせたということなのではないかと思われます。