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博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

植民地の記号

2010年05月26日 | 思い出
 じゅんじさん、お久しぶりです!
 復帰前の沖縄と鹿児島県の境界が地図上ではどんなだったか残念ながら記憶にありません。
 実家には昭和47年以前の私の小学生時代の古い学習用地図帳が残っている可能性があるのでそれを見れば分かるのですが、手元に無いのです。ネットで検索してもこれはというものがヒットしません。それでも海外の古い地図で、Okinawaの標記の隣にadm.USと表記されたものがありました。これはadministrative USA(米国管理下)という意味でしょうね。
ちなみに復帰前の沖縄宛の郵便の宛先は「沖縄那覇×××」と表記したようですね(沖縄の次に県が付かない)。
 私が小学4年生の時に、本土との交流事業で沖縄の小学校の先生のお話しを聞く授業があったことを覚えています。沖縄から本土まで船で○○時間かかること(良く覚えていないのですが1昼夜位でしたか)。本土に上陸するのにパスポートが必要なこと。沖縄では水が貴重で風呂が無くシャワーしかない家が多いとか、その位しか記憶に無いのが残念です。

 1960年代に実家の壁に貼ってあった世界地図のアジア、アフリカ、オセアニア、中南米はまだまだ欧米の植民地を表す、(イ)とか(フ)とか(ポ)とか(ア信)とかいった表記がたくさん残っていました。それぞれ順にイギリス領、フランス領、ポルトガル領、アメリカ信託統治領という意味ですね。もう少し過去の地図になるとこの表記が(英)、(仏)、(葡)、(米)というふうに漢字になりますね。
 特にインドは1947年にイギリスから独立したにも関わらず海岸部の都市に欧米の植民地が結構多く残存していたことが印象に残っています。ポンディシェリーとかカリカル(フランス領)とかゴア(ポルトガル領)とかいった港湾都市ですね。これらの残存植民地は60年代半ばまでにはインドに返還されました。ポルトガル領のゴアのようにインド軍が侵攻して武力で回収するという荒っぽいケースもあったそうですし、フランス領ポンディシェリーのように故マハトマ・ガンジー方式で非武装・非暴力の大勢のインド民衆が市内に座り込んで返還を迫ったケースもあったそうです。
 中国では香港(イ)が1997年、マカオ(ポ)1999年のように21世紀直前まで残存植民地を抱えていました。まあ今でもオセアニアなどには(フ)や(ア)や(イ)が結構残っていますが・・・

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (じゅんじ)
2010-05-29 22:04:58
大変ご丁寧なレス、ありがとうございました!
インドに、香港のような港湾限定の植民地、しかもポルトガルやフランスのまであったとは知りませんでした。

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