85回目の誕生日を迎えた。一茶をパクって,字余りで:
”めでたさも中ぐらいなり八十路半ば”
バースデイプレゼントのダイレクトメールにつられ,マカロンのおまけつきのケーキを買ってきて,ささやかに祝った。
ところで,わたしの生まれ年,1936は44の二乗の完全平方数である。45の二乗は2025。この年に生まれる方々とはお目にかかれないかと思っていたが,ひょっとするとひょっとするかもしれない。
85回目の誕生日を迎えた。一茶をパクって,字余りで:
”めでたさも中ぐらいなり八十路半ば”
バースデイプレゼントのダイレクトメールにつられ,マカロンのおまけつきのケーキを買ってきて,ささやかに祝った。
ところで,わたしの生まれ年,1936は44の二乗の完全平方数である。45の二乗は2025。この年に生まれる方々とはお目にかかれないかと思っていたが,ひょっとするとひょっとするかもしれない。
今日の朝日歌壇から:
しわぶきのひとつだになき無言館奪われたもの惜しみつつ巡る 東京都 細井恵子様
昨日書いたブログを思い出しつつ
いう方といわれた方と寂しさはどちらが強い「帰省は止めて」 奈良県 岡田和代様
コロナに裂かれるスキンシップ
〈はやぶさ〉で生命(いのち)の起源分かっても地球の最期は言わないでくれ
近江八幡市 寺下吉典様
科学の進歩は時として恐怖の深淵を覗かせる
今日1月17日は阪神淡路大震災が起きてから27年目。
窪島 誠一郎 『「無言館」の庭から』 かもがわ出版 2020年
町の図書館の新刊書コーナーでたまたま目に入り,十数年前に訪れた美術館を思い出して,借り出した。著者は文筆家でもあり,何冊もの著書があるらしいが,わたしはこれが初めて読む本である。
無言館と並んで著者が所有する信濃デッサン館を閉じるにあたって,雑誌等に発表されたエッセイがまとめられている。戦争の犠牲者として夭折した画学生の遺作を蒐集し,展示することを自らに課し,履行してきた過程での様々なエピソードが紹介されていて興味深いが,そのことを通じて自分が有名人になり,もてはやされていることへの後ろめたさや自己嫌悪の気持ちが素直に語られている。いささか「エエカッコシイ」の感を受けないでもないが,著者が無言館に込めたものは,しばしば軽く使われる「平和」や「反戦」(実は重い意味をもっているのだが)ということばには包摂しきれないのではないだろうか。
この文を書きながら,1月4日にBSプレミアムで放映された降旗康男監督,高倉健・田中裕子主演の映画『ほたる』を思い浮かべていた。特攻隊員の生き残りの主人公が,戦死した朝鮮人特攻隊員の遺族を訪ねて遺言を伝え,遺品を渡すシーンがハイライトであるが,全編を貫くテーマは「命」であった。無言館に通じるものがあるように思えた。
この本には,有名な小説家であった父の水上勉とは再会後すぐに打ち解け,親密な関係を築きながら,主婦としてひたすら過去を隠して過ごし,数十年を経てようやく見捨てた子の前に現れて許しを乞う母を受け入れようとせず,彼女が自死する原因を作ったかもしれない自分の行為に対する悔悟と譴責の念も述べられている。
著者が非常勤講師を勤めた高校の生徒が,無言館の展示物を借り出して開催した「手作り絵画展」の,生徒たちによる「総括文」は,読みながら目頭を熱くした。
偶然に観たテレビ番組で,無言館に飾られる絵画の修復作業が放映されていた。画面の傷にその絵を保存してきた遺族の心が示されているとして,傷を塗りつぶすのではなく,注意深く残して修復する作業に感銘を受けた。
この本を読んで,もう一回上田市郊外の無言館を訪ねたいと思ったが,コロナ騒ぎと自分の年齢を考えると,多分無理であろう。
今日の朝日新聞朝刊13面に,「新型コロナ 感染症と生きるには」と題して,長崎大熱帯医学研究所教授 山本太郎氏へのインタビュー記事が掲載されている。かねてから,この方のコメントはわたしの感覚と波長が合うように思っていたが,今日の発言も示唆に富んでいた。
氏は,今の感染対策において,「何をめざすのか,いまどこにいるのか,ロードマップ」が示されていない点が不足していることを,まず指摘する。氏のいう目指すところとは,社会経済と両立する集団免疫によるウイルスとの共生である。ここに至る過程には,社会経済的あるいは防疫的な措置の「大きな物語」のほかに,もう一つ個別の死に関わる「小さな物語」が存在する,という。そして,ウイルスとの共生が望ましくてもそのために命が失われてよいということではなく,「小さな物語」に寄り添って「大きな物語」を進めていかなければならないと指摘している。さらに氏は,「パンデミックに倒すべき相手はいない。闘うのではなく,ウイルスを社会に取り込んでいくという感覚が必要」であるという。
集団免疫によるウイルスとの共生には,ワクチンや治療薬の開発が大きな要因となるだろう。前者はようやく緒についたところであり,後者についてはいまだ展望が見えていない。私自身は,山本氏のいうロードマップにおいて,ひたすらウイルスを避ける以外に,当分の間身の処し方はない。茨城県知事は,県独自の緊急事態宣言を発動した。ひっそりとその動向を見守ろう。
車で約一時間の筑波山神社に初詣に行ってきた。快晴・無風,最高の日和に恵まれた。
例年だと3日か4日に出かけるのだが,今年は,人出を避けてしかし松の内と,今日まで日延べした。6月には車の運転を返上しようと思っているので,これが最後の筑波山詣りになるだろう。参拝の後ケーブルカーで山頂まで行き,景観を目に納めてきた。
イザナギ・イザナミノミコトが祀られ,筑波山の中腹に位置する。
コロナウイルス怖し。
神社の裏には「万葉の小径」があり,歌碑が置かれている。
ケーブルカーはがら空きだった。
山頂より。霞んで見えぬが,見えぬ辺りが日光連山。
帰路,お神酒がわりに地酒を仕込む。
よく散歩に行く親水公園には,数十羽のカモが群れている。周年その姿が見られるので,留鳥のカルガモであろう。
この池に時々アオサギが現れる。今日も見かけた。あまり動かず佇立している。文字通り孤高である。
「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
若山牧水のこの歌をめぐって,白鳥は何の鳥か,一羽か複数かという議論があるという。わたしには一羽のサギのように思えるが。
今日1月12日がアガサ・クリスティーの命日であることをネットで知った。1976年に,エルキュール・ポアロの後を追って,このイギリスミステリー界の巨峰は没している。
クリスティーを知ったのは高校2年の時だった。期末試験の勉強で友人の家に泊まり込んだ時,書棚に『そして誰もいなくなった』を見つけ,読み始めたら止まらなくなって徹夜した。翌日の物理の試験は惨憺たる結果で,先生から職員室に呼ばれた。これがきっかけで,本格的な推理小説への興味が芽生えた。
アガサ・クリスティーの著書は多分30冊以上読んでいるだろう。妙に印象に残っているのが『シタフォードの秘密』である。恐らくクリスティーの作品で初めて謎解きに成功したからだろう。ポアロでもミス・マーブルでもない若い女性が探偵役で,文中何気なく描写されていたスキーが鍵だった。
エジプトに観光旅行に行った時,『ナイル殺人事件』の舞台にもなったオールドカタラタホテルに宿泊した。チャーチルと並んで,このホテルにはクリスティーが滞在して執筆した部屋が記念に残されている。フロントでその所在を確かめようとしたら,すでに予約が入っているといわれ,その部屋の前まで行きたいだけといって教えてもらった。そのフロアに行くエレベーターが旧式の手動式だったのが楽しかった。
アガサ・クリスティーは現在のイギリスミステリー界にも大きな影響を与えているようだ。2014年に亡くなった女流作家,P・D・ジェイムズは,その作品の中で,しばしばクリスティーに言及しているし,数々の賞に輝いたホロヴィッツの『カササギ殺人事件』はクリスティーへのオマージュである。
昨日(1月10日)の朝日新聞文化・文芸欄に,漱石の『坊ちゃん』がポピュリズムに対する警鐘の書であったという趣旨が述べられていた。そんな観点からこの小説を読んだことがないので,参考になった。
この書評に関連して,友人の一人が,イギリスのピューリタン革命が,トランプが企てたのと同じ手法,群衆による議会の占拠と決議の強要によってなされたことが想起されると,メールで伝えてきた。傾聴に値する見解である。もっとも,トランプの企てはあまりにも稚拙でお粗末であったが。
書評の中に,暴動のありようとして,「群れを頼んで責任をとらない」という言葉が引用されていた。この言葉に関連して,わたしは「群れを頼んで責任をとらないリーダー」ということを考えていた。ヒトラーは自殺し,ムッソリーニは民衆のリンチで殺され,東条英機は「裁判」で絞首刑に処された。「責任をとる」ということは,どういうことを指すのだろう。
午前11時ころに親水公園を散歩したら,貯水池の水面に張った氷が残っていた。この池に氷が張ったのは初めて見た。今朝の最低気温は-7℃,岸辺のカモも凍えていた。