大学入試共通テストが無事終了した。わたしは二十数年前に,この前身のセンターテストの,生物の問題作成に関係していたので,ついついどんな出題があったかに興味が惹かれてしまう。今年の生物に,外来種を扱った問題が出た。この外来種という言葉を見て,わたしはニセアカシアのことを思い出した。
十数年前に帰郷した折,地元紙の記事にニセアカシア伐採の記事が出ているのを読んでびっくりした。千曲川やその上流の牛伏川で,外来種駆除の目的でニセアカシアの伐採が公的事業として行われるという。
ニセアカシア(ハリエンジュ)は地元では単にアカシアと呼ばれ,犀川や奈良井川の河岸を彩る景観として慣れ親しまれてきた。母校の応援歌には「アカシア薫る旗風に」という歌詞があり,美術部はアカシア会と命名されていた。初夏に白い花をつけ,蜜蜂がそれに群れる。アカシアのある風景は,わたしのノスタルジアをかきたてるものである。
そのアカシアが何故?調べてみると,ニセアカシアはとんでもない悪者に仕立てられていた。日本生態学会は侵略的外来種ワースト100のひとつに選定し,法的には生態系被害防止外来種リストに記載されている。その性質はすべて悪いものとされる。繁殖力旺盛で松林などに侵入して,景観を大きく改変する,マメ科で空中窒素固定能力があり,生物多様性を損なう,等々。果ては,棘があるのでヒトに怪我をさせる。まさに,坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのである。
わたしはかねがね外来種駆除のあり方に違和感を覚えていた。フレッド・ピアスが書いた『外来種は本当に悪者か? 新しい野生THE NEW WILD』(草思社 2016年)を読んで,その意を益々強くした。外来種が入り込んで,豊かで安定した生態系が作られた例,外来種を駆除しようとした事業が,出来上がっていた生態系を攪乱し,惨憺たる結果に終わった例などが具体的に述べられ,外来種をいたずらに排除しようとするのではなく,取り入れて評価し,利用することの重要性が述べられている。そもそもわれわれの身の回りは外来種だらけである。極端な例をあげれば,食用作物で在来種なのは,ダイズ,アズキ,ワサビなどほんのわずかで,圧倒的大部分は外来種である。
アカシアのある景観は,地元住民にとっては100年以上にわたって慣れ親しんできた大切なものである。ニセアカシアに不都合なところがあれば,調節すればよい。外来種だといって撲滅を目指し,公的機関がボランティアまで募集するというのは,全く承服できない。ニセアカシアは伐採してもひこばえからの再生力が強く,そのため駆除に除草剤の使用が推奨されている。除草剤を散布して得られる生物多様性とは一体いかなるものか。
奈良井川沿いのアカシアが健在であることを,mt77さんのブログで知った。この景観が無粋な外来種駆除によって破壊されないことを強く願っている。
(下の写真は,bing.com/imagesよりダウンロードしました。)