戦 争 責 任
朝日新聞デジタルによれば、長崎市の原爆資料館の展示物をめぐって、運営審議会の委員から 「南京大虐殺の歴史的事実関係をどう考えているのか。裏付けは何もない。でっちあげ」との発言があり、市は同館のリニューアルに当たって、対象となる展示物とモニター音声をいったん撤去し、展示物についてあらためて検討していくことにしているという。
1988年に原爆資料館の老朽化に伴う建て替え方針が出され、建て替えに関わった元市職員の話では、展示物の内容には当時の市長本島等さんの意向が大きく反映したという。本島さんは、戦争に対する反省がないと、核兵器廃絶の主張が説得力をもたないと考えていた。
本島さんの理念は、後任の伊藤一長さんにも受け継がれ、「自らの反省なくしては核兵器廃絶の訴えは決して世界に届かない」と、加害展示の重要性を議会で指摘しているという。。
長崎原爆資料館の運営については、長崎市民が決定することで、わたしがとやかく言うべきではないかもしれないが、あえて感想として言うならば、両市長の考え方はとても大切なことだと考える。
南京事件に関しては、被害者の数に議論はあるが、民間人に多数の犠牲者が出たという事実は、日本政府も含めて認められている。冒頭に述べた資料館審議委員の発言は、わたしにはためにする議論のような感じを受ける。
この新聞記事は、戦時中の加害行為の展示をめぐって、各地で撤去・縮小の動きが続いていることも伝えている。
もう四半世紀も前になるが、パラグアイに赴任していた時、夕食を食べに食堂に入ったところ、テレビが戦争映画を映していた。画面は東南アジア、原住民に対して日本の兵隊が暴虐をふるい、アメリカ兵がそれを救出するというような筋立てだった。
わたしが食堂に入ってくるのを見て、店にいる人たちはハッとした表情になった。わたしは一切を無視して、食事をした。
その時思ったのは、日本ではこのような映画は公開されないが、日本軍を「悪逆非道」なものとして描いた映画は、世界のあちこちで流布しているのではないかということである。
現在の日本人の大部分は、日本が引き起こした戦争の当事者としての責任は負っていないかもしれないが、その戦争でどのようなことが行われたかを認識し、二度と日本にその道を歩かせないようにすることが責任として課せられているのではないだろうか。
筑波山夏の夕暮れ
STOP WAR!
ヒント、国際数学やオリンピック
[筑波山夏の夕暮れ]素晴らしい写真ですね。
kamiさん:
天野さん:
自虐史観などという言葉で、過去をごまかそうとする動きに気をつけたいですね。