今年も無事に年が明けた。子供や孫のいない夫婦二人だけの年越しは,2001年から2年にかけて,南太平洋のイースター島(Isla de Pascua)で過ごして以来の久しぶりである。当時わたしは,JICAの専門家としてパラグアイに赴任していて,年末年始の休暇を利用してウシュアイアに旅行する予定を組んでいたのだが,経済危機からくる世情不安を理由として,専門家のアルゼンチンへの入国は禁止となった。そこで,急遽目的地をイースター島に切り替えたのである。
チリのサンチャゴから3,000キロを飛んで,絶海の弧島に着いた。空港は観光客で一杯だった。滞在中に会った日本人は,タヒチ経由で来ていた青年一人だけだった。散歩に出て先ず驚いたのが,野生化した馬の群れで,野原を疾駆する様子に恐怖感すら覚えた。物価は高く,特に飲料水は経験の範囲で世界一だった。
二日目に,現地の女性ガイドの案内で島内を観光した。ガイドさんの顔が,前夜ホテルで観た民俗舞踊ショーの踊り子さんの一人と似ていたので,訊ねたところやはり同一人物だった。しかし,この踊り子ガイドさんは,スペイン語と英語の両方を巧みに操り,要所では歴史的考察を加えた素晴らしい案内をしてくれた。
観光の中心はモアイであった。もっとも印象的だったのは,7体の「海を見つめるモアイ」だった。通常モアイは守り神として集落の方を向いているのだが,このモアイは島民が渡ってきた海を見つめているのだ,との説明になんとなく納得してしまった。日本の企業が無償で修復して並べた15体のモアイがあったが,ガイドの対象からは外れていた。
モアイ像は新しいものほど大きくなっているという。モアイの製造場所から眺めると,打ち捨てられて土にうずもれたモアイが点々と続いていて,モアイの道と称されている。ガイドさんの説明では,大きくし過ぎて途中で運ぶのを放棄したものとのことだった。
イースター島は18世紀の西欧人渡来以来,奴隷狩りと疫病で先住民は百余名まで減少し,現住の島民はフランスに奴隷として連れて行かれ,また島に戻された人たちの後裔だという。島の文化を唯一伝えるのがモアイであるかもしれない。