窪島 誠一郎 『「無言館」の庭から』 かもがわ出版 2020年
町の図書館の新刊書コーナーでたまたま目に入り,十数年前に訪れた美術館を思い出して,借り出した。著者は文筆家でもあり,何冊もの著書があるらしいが,わたしはこれが初めて読む本である。
無言館と並んで著者が所有する信濃デッサン館を閉じるにあたって,雑誌等に発表されたエッセイがまとめられている。戦争の犠牲者として夭折した画学生の遺作を蒐集し,展示することを自らに課し,履行してきた過程での様々なエピソードが紹介されていて興味深いが,そのことを通じて自分が有名人になり,もてはやされていることへの後ろめたさや自己嫌悪の気持ちが素直に語られている。いささか「エエカッコシイ」の感を受けないでもないが,著者が無言館に込めたものは,しばしば軽く使われる「平和」や「反戦」(実は重い意味をもっているのだが)ということばには包摂しきれないのではないだろうか。
この文を書きながら,1月4日にBSプレミアムで放映された降旗康男監督,高倉健・田中裕子主演の映画『ほたる』を思い浮かべていた。特攻隊員の生き残りの主人公が,戦死した朝鮮人特攻隊員の遺族を訪ねて遺言を伝え,遺品を渡すシーンがハイライトであるが,全編を貫くテーマは「命」であった。無言館に通じるものがあるように思えた。
この本には,有名な小説家であった父の水上勉とは再会後すぐに打ち解け,親密な関係を築きながら,主婦としてひたすら過去を隠して過ごし,数十年を経てようやく見捨てた子の前に現れて許しを乞う母を受け入れようとせず,彼女が自死する原因を作ったかもしれない自分の行為に対する悔悟と譴責の念も述べられている。
著者が非常勤講師を勤めた高校の生徒が,無言館の展示物を借り出して開催した「手作り絵画展」の,生徒たちによる「総括文」は,読みながら目頭を熱くした。
偶然に観たテレビ番組で,無言館に飾られる絵画の修復作業が放映されていた。画面の傷にその絵を保存してきた遺族の心が示されているとして,傷を塗りつぶすのではなく,注意深く残して修復する作業に感銘を受けた。
この本を読んで,もう一回上田市郊外の無言館を訪ねたいと思ったが,コロナ騒ぎと自分の年齢を考えると,多分無理であろう。