長谷川敦
『ようこそ!富士山測候所へ 日本のてっぺんで科学の最前線に挑む』
旬報社 2023年
富士山測候所については、2022年10月9日にこのブログの読書備忘で『富士山測候所のはなし』という本を紹介した。その本の編著者の一人で畏友の土器屋由紀子さんからこの本が送られてきた。
土器屋さんについては前のブログに書いたので省略させてもらう。
前の本は測候所の運営や研究に当たられている方々の執筆で、やや難解のところがあったが、この本の著者の長谷川さんは、巻末の紹介によればフリーライターで、いわば素人である。そして素人の目で資料に当たり、関係者の話を聞き、よく咀嚼して測候所のことをわかりやすく記述されている。読んでいて飽きることなく、一気に最後まで読み通した。
内容は2部に分かれている。
Ⅰ部では富士山測候所の前史から始まって、「NPO法人 富士山測候所を活用する会」の運営による研究が軌道に乗るまで経過、Ⅱ部では現在行われている研究内容のそれぞれが紹介されている。
日本一高い3776メートルの富士山の山頂に測候所を作ろうとする計画の嚆矢は、1895年に野中至という28歳の青年によって放たれた。厳冬の山頂で妻の助けを借りながら気象データを取り続けようとする彼の努力は、過酷な環境条件に阻まれて挫折するが、その志は後輩の気象研究者に受け継がれる。
1932年の国際プロジェクトに合わせて気象庁の「臨時富士山頂観測所」設置され、それを基盤に、何度かの廃止の危機を乗り越えて、1950年委「富士山測候所」が生まれる。
「富士山測候所」には1964年にレーダーが設置され、台風の予測が格段に改善される。それ以前は、伊勢湾台風のように5000人に上る死者が出ていたが、それ以降台風による1000人以上の死者は一回も出ていない。
著者はこうした歴史の中での気象研究者の努力や犠牲、過酷な環境条件の中で建設に当たる技術者の努力を記述するとともに、馬方や強力など地元の人たちの協力への目配りも忘れていない。
しかし、気象衛星などの出現によって、「富士山測候所」はその役割を終え、2004年に無人化される。
測候所はその施設を大気科学の研究者たちにも利用されていた。富士山は孤立峰であり、しかも立錐形で大気科学の研究にはほかにない条件を備えている。測候所の廃止は研究の中止につながる。そこで土器屋さんたちは『富士山高所科学研究会」という50人ほどの組織を立ち上げ、「富士山測候所」の存続を各方面に働きかけ、2007年「NPO法人富士山測候所を活用する会」が気象庁から測候所を借り受ける形で研究を継続することに成功した。
現在測候所は法人によって運営され、公的機関の補助は一切受けていない。(これは全くけしからんことだ。施政者は猛省を!)研究は公募し、利用者の使用料が運営基金になる。コロナ禍で利用者が減り、活動の継続がピンチになったときはクラウドファンディングで寄付を募り、300万円の目標を超える612万円が2週間で集まった。(日本人も捨てたものではない。)
測候所の管理・運営は法人が行っている。高地にはずぶの素人が研究に参加している。事故を起こさないための気配りも必要である。ヒマラヤ登山の経験者がその管理に大事な役を果たしている。2007年から始まって、延べ6000人が利用しているが、事故は一件も起きていない。
測候所の保全・維持、管理運営上の苦労など、貴重な研究をわずかな人員で支えている法人の方々の努力は驚異的ですらある。
Ⅱ部には。「富士山測候所」で実施されている6つの研究が紹介されている。
富士山頂は自由対流圏に位置し、偏西風が吹いている。中国で発生する2酸化炭素や硫黄酸化物、インドで発生するマイクロプラスチックも、測候所で採集する大気で分析できる。国際的な監視の役割を担うことも可能である。
そのほか、地の利を生かした雷の研究、大気中の微生物を核にした水蒸気氷結の研究、高地医学を実践的に登山の技術に応用する研究など、富士山頂だから、あるいは富士山頂でしかできない研究がわかりやすく紹介されている。
それにしても、1立方メートルの大気中に微生物が数十万個いるとか、プラスチックが分解したマイクロプラスチックが血液に入り込んでいるとか、そんな話を聞くとびっくりしたり怖くなったりする。
200ページ足らずの小冊子であるが、実に内容豊かで、読み終わって賢くなった気がする。
著者に敬意を表するとともに、「NPO法人富士山測候所を活用する会」の皆さんにエールを送りたい。
STOP WAR!