大学院生の憂鬱
朝日新聞デジタル版に『大学院生とうつ病』という連載記事がこれまで3回にわたって掲載されている。
第1回は22歳で自死した女子大学院生の話が、第2回には大学院生の多くがうつに悩まされていることが世界的な傾向であることが、それぞれ報告されている。
第3回では、この問題を研究対象としている名古屋学院大学専任講師の横路佳幸さんの談話が掲載されている。
横路さんは、大学院生はうつを誘発されやすい環境に置かれていることを指摘し、組織的に対応していかなければ日本の大きな損失につながると警告している。
横路さん自身は大学院を恵まれた環境で終了したが、周りにメンタルな問題を抱える大学院生が増えていることに驚き、この問題に取り組む決意をしたという。
大学の研究室は会社に例えればワンマン経営の零細企業で、業績を挙げ、研究費を獲得することが至上課題であり、その中で大学院生はあるときはパワハラにさらされ、孤立させられることがあることを横路さんは指摘する。
わたし自身の大学院生活を振り返ると、確かに大きな焦りを感じていた。あるとき実験材料の植物の葉に現れた紋様を見て、それが自分の求めていたものであることに気づき、研究を順調に終えることができた。あの現象に気がつかなかったらどうなっていたか今でもぞっとするが、この間うつにならずに済んだのは、指導教官があまり口出しぜず、周りの先輩や友人との関係が楽しいものだったからだと思う。
研究テーマは助教授の発想に基づく教授からの指示で受け入れたが、内容的には自分の意志でかなり変更を加えた。そのことについて教授に相談はしていたが、あくまで自分の責任であって、研究室の業績や研究費の獲得といったプレッシャーは感じなかった。当時の文部省からくる基礎的な研究費が今とは比較にならないほど多かったことも手伝っていた。
ひるがえって指導教官としての自分はどうだったかを考える。正直に言って、学生のメンタルの問題はあまり考えなかった。時には厳しく叱責したので、どうだったろうかともやもやと感じることがある。問題が生じなかったように見えるのは、研究室の学生・院生相互のコミュニケーションのおかげが大きかったと思う。
大学をめぐる情勢は厳しくなり、研究費は自分で稼ぐことが当たり前になっている。ともすれば大学院生は、安価な戦力とみなされ、使いずてにされかねない。大学院への入学は、学部への入学よりずっとやさしいことを時々感じた。
青春の貴重な時間を過ごす大学院生の人格に配慮することを、指導に当たる教師は心得て欲しいと自省を籠めて訴えたい。
ア ヤ メ
阿見町にて
STOP WAR!