羽花山人日記

徒然なるままに

読書備忘(9) ヒロシマを暴いた男

2021-09-13 17:45:11 | 日記

レスリー・M・M・ブルーム (高山 祥子 訳)『ヒロシマを暴いた男 米国人ジャーナリスト,国家権力への挑戦』 集英社 2021年

先々月,広島黒い雨訴訟で,ようやく原爆投下後に降った雨を浴びた人々に,被爆者手帳が交付されるようになった。

また,8月9日に放映されたNHKスペシャル『原爆初動調査』で,長崎市西山地区に降った黒い雨による放射線被曝の影響が,アメリカ軍関係者によって,住民をモルモットのように扱って秘密裏に調査され,その結果が秘匿されている事実が示された。

アメリカ政府,そしてGHQは,広島・長崎に投下されて原爆は,威力の大きい通常兵器であるとし,被害の程度をできるだけ小さく公表した。そして,現地における惨状,特に放射能被害に関しては,報道しようとするジャーナリズムに対して,日本に同情を起こさせないようにと,厳しい報道管制を敷いた。現地の状況に関する記者の原稿は,GHQ/SCAPによってすべて検閲され,不都合なものは握りつぶされた。

『ヒロシマを暴いた男』は,こうした原爆報道に対する規制の実態を,丹念な資料調査によって明らかにするとともに,この規制をかいくぐり,世界に原爆の恐ろしさを伝えた,アメリカ人ジャーナリストの軌跡を描いたものである。

この本の主人公,ジョン・ハーシーは,2次大戦中従軍記者として活躍し,ピュリッツァー賞を受賞している。

ハーシーは,幸運にも1946年5月日本への入国と,広島滞在を許可され,原爆から生き延びた,6名の男女にインタビューし,自身の受けた被害と爆発後に起きた惨状を聞き取る。そして,記事原稿として没収されるのを免れるために,メモの形でアメリカに持ち帰り,記事原稿にまとめ上げ,当時娯楽雑誌だった「ニューヨーカー」に持ち込む。編集者は,これが世紀の特ダネであることを見抜き,1号全部をこの記事で埋めて発表しようとする。

当時,アメリカ政府は国家機密の名のもとに,厳重な報道規制を行っていて,この出版も差し止められる可能性があった。編集者は記事原稿を,マンハッタン計画の統括責任者であった,レズリー・クローヴズ中将に検閲を依頼するという賭けに出て,奇跡的にその許可を得る。

1946年8月25日,「ニューヨーカー 8月31日号」は,ハーシーの『ヒロシマ』と題する記事一本を載せて発売する。この記事は大きな反響を呼び,50万部の雑誌を売りつくす。そして,『ヒロシマ』はいろいろな雑誌や新聞に転載され,放送劇まで作られる。さらに,単行本として出版され,世界11ヵ国語に翻訳される。

日本での翻訳・出版はGHQによって禁止されていた。ようやく1948年になって,ハーシーから,こっそり送られた「ニューヨーカー」を,被接見者の一人谷本清牧師が翻訳し,8月25日に法政大学出版局から出版された。

『ヒロシマ』*は,原爆の恐ろしさを世界中に伝え,非人道的核兵器反対の世論を喚起した。アメリカ政府は,この反響を黙視し,「原爆は戦争の終結を早め,多くのアメリカ人や日本人の命を救った」と,広島・長崎への原爆投下の正当性を主張するように方向転換した。しかし,残留放射能については,依然として危険性は小さいとしている。

わたしは,『ヒロシマ』の存在を,この本を読むまで知らず,早速取り寄せて読んだ。インタビューの内容が淡々と客観的に書かれ,著者・編集者の意図した,誰にも否定できない原爆の残虐性を伝えるという目的が達成されている。

ジョン・リチャード・ハーシーは,1998年癌で亡くなった。78歳だった。彼はこの記事の転載や出版で得た印税を,国際赤十字に寄付している。

1945年以来,世界を原子爆弾から安全に守ってきたのは広島で起きたことの記憶だった。」は,彼の遺した言葉である。

*ジョン・ハーシー (石川欣一・谷本清・明田川融訳)『ヒロシマ(増補版)』法政大学出版局 2014年

コメント (3)
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