2006年奈良春日山にて撮影
宮沢賢治の作品の中で,好きなものの一つである。語り手が,風から聞いたはなしとして書かれている。
開拓農民の子,嘉十は,痛めた膝の湯治に行こうと,すすきの野原を横切っている。そして,持参した栃団子で昼食をとる。腹いっぱいになった嘉十は,最後の一個を,鹿の餌にと残していく。
しばらく行ってから,嘉十は手ぬぐいを置いてきたことに気づき,取りに戻ると,6頭の鹿が栃団子を囲んでいるのに気付く。
鹿たちは,団子の傍にある手ぬぐいが不気味で,なかなか団子に近づけない。一頭ずつ恐る恐る近づき,逃げかえってくる。この場面の描写は,実にユーモラスである。最後の一頭が,ついに手ぬぐいを咥えて,みんなにちっとも恐ろしくないことを示す。
鹿たちは大喜びで,歌をうたいながら手ぬぐいの周りを走り出す。この歌が実に秀逸である。
すっこんすっこの栃だんご,栃のだんごは結構だが
となりにいからだふんながす,青白番兵(ばんぺ)が気にかがる。
中略
どこが口だがあだまだが,ひでりあがりのなめくじら。
まわりながら,手ぬぐいを角でつき,栃だんごの周りに集まって一口ずつだんごをたべる。
食べ終わると,鹿たちはまた輪になって,短歌を吟じながら歩きだす。どれも素晴らしいが,最後の6頭目のがわたしは一番好きだ。
「ぎんがぎのすすぎの底(そご)でそっこりと
咲ぐうめばちの愛(え)どしおえどし」
そして,激しくぐるぐるとまわりだす。
嘉十はもう鹿が自分と一体になったような気分になって,叫びながらとびだす。鹿は一目散に逃げて行き,その後に湖の水面のようなすすきの原が広がる。
これが,風から聞いた,鹿踊りの始まりだという。
宮沢賢治の作品には,人間と動物の交流を描いたものが多い。『なめとこ山の熊』,『オッペルと象』,『セロ弾きのゴーシュ』などなど。アニミズムの世界といってもいいかもしれない。これらの作品の中で,賢治は,人間が動物からなにか大切なこと伝えられていることを,示唆しようとしているように思える。
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