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桜と絵本と豆乳と

生きているうちに,見…

2013年01月29日 | 読書
 史上最高齢で芥川賞を受賞した黒田夏子さんが、賞を受けた直後の談話で、たしかこんな言葉をもらしたと思う。

 「生きているうちに見つけてくださいまして…」

 ううん、なんとも凄い一言だ。

 自らの才能に自信があり、それが顕在化することにも確信があったのだろう。
 問題は、時機だったというのだ。

 時の問題…自分の問題ではなく、時そのものの問題、言い換えれば時という名の世間が自分に追いついて(もしくは、ずり落ちて)くる必然を知っていたとでも言うように。
 もちろん、作家の風貌からしてそんな尊大な言い方はしていないだろうと予測されるが……。

 それにしても、文藝とは、かくのごとく他に気をとられぬ人種の産物ではないか。
 所詮、自分などは……とすねた文体になるのは、やはり憧れの裏返しか。

 そんな時に、こんな漫画を見つける。

 『よちよち文藝部』(久世番子 文芸春秋)
 http://www.yomiuri.co.jp/book/comic/sinnavi/20121203-OYT8T00869.htm

 『新刊展望』をぺらぺらめくっていた時に、対談記事があって興味を持った。

 いやあ、面白い。
 いわば、文豪&超有名作家めった切りという風情。毒舌パロディと言ってもいいだろう。絵は西原恵理子系統?(適当に言ってみた)のようだが、取り上げ方が斬新で、文藝にくわしくなくとも笑える。
 くわしい方ならきっと、もっと笑える。ただし、ファンの方なら怒る人もいるか。

 自分がわずかに知っている中也や賢治にしても、ズブリという感じである。

 中也の巻では、例のよく使われる中也の写真のイメージをテーマとする。あの「黒目」に読者は魅了されるとし、中也の荒んだ生活の中における「黒目率」を探っていくという、実に斬新な切り込み方である。

 賢治では、地名の造語について取り上げられていて、様々な妄想が働かされる。トキーオと名付けられた都会で、ウエーノ、シンジューコの荒廃を鋭くついている。


 とまあ、揚げ足取りと自虐と下ネタ満載なので、私のように豪雪に疲れた北国周辺の方々のカラダには心地よく響くのではないでしょうか。

 そうそう、かのノーベル賞作家川端大先生の『雪国』を、「*」の一字に象徴した過激さ、ちょっと他では見られません。

 生きているうちに、見つからないほうが…いいかもしれない。

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