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知性の不調を掘り起こす①

2019年12月12日 | 教育ノート
 先週ある大会挨拶の原稿を考えたとき、主催する会ができた35年前の事を少し調べた。土曜日友人と一献を傾けた時、学校の活動が変わりゆく様に少し驚き、寂しさを禁じえなかった。日曜日に『街場の平成論』(内田樹・編 晶文社)を読み始めた。編者によるまえがきを読み、もう一度あの頃をおさらいしたくなった。


 本で語られるのは、当然平成元年(1989)からが中心であるが、昭和60年(1985)を一つのポイントとみたい。以前、誰の論述か失念したが、その年が教育界におけるエポックメイキングな年と位置付けられたことを覚えている。歴史的には中曽根内閣のもと、臨時教育審議会が第一次答申を出したことが大きいと言える。


 私は三校目の学校に移動した年だ。以前回顧録として断片を書いたことがある。前年に「教育技術の法則化」運動が産声を上げ、書籍が月々に出されていた。それから数年間で全国的な広がりを見せた。しかし秋田での風はまだ弱く、当時宮城で持たれた全国合宿には県内から4名しか参加しなかったという記憶がある。


 臨教審答申が3年続けて出され、教育の自由化、個性化が声高に打ち出されていた。それが学校現場にどんな力を及ぼしているか深く考えないままに、目前の実践だけを見ているような日々が続いた。85年にサークルを正式に発足させ、月例会をして年間集約をまとめた。忙しさを充実感と勘違いしていたかもしれない。


 『街場の平成論』は「知性の不調についての点検報告書」だと内田は書く。当時自分がどんな未来を描いていたか、その姿は実に矮小ではなかったか、と今想うのはまさしく「知性の不調(貧困か)」ではないのか。極私的な振り返りが何かの役に立つとは思わないが、気持ちに任せて今後掘り起こして書いていきたい。


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