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逃げるを手段とす

2017年09月18日 | 雑記帳
 昨夜、大河ドラマ『直虎』を観ていたら、「逃散(ちょうさん)」の場面があった。画面にも大きくその字が出され、当時農民たちが国同士の争いが続く中で、防衛策の一つとして集団で土地を離れる方法をとったことを示していた。先日読んだ『杖ことば』(五木寛之)にも「為政者への抵抗手段」として挙げられていた。



 農民が村をそして田畑を捨てるという選択をすることは容易ではない。しかし戦国時代以前から、それほど珍しいことではなかったようだ。その集団移動を、受け入れる藩には「逃散奉行」がいて、開墾させる手配をしたと五木は書いている。「一揆」はよく取り上げられるが、実際の抵抗手段はもう少し幅が広かった。


 同じドラマの中で『三十六計、逃げるに如かず』という台詞も出てきた。『逃げるが勝ち』同様、誰しも知っている諺ではあるが、最近あまり使われないような気もする。そもそも「逃げる」ことが卑怯だという日本人の美学があるので、好ましくは思われない。けれど「三十六計」の意味を考えると、十分に価値がある。


 「三十六計」とは文字通り「三十六種類の計略」つまり兵法上の多くの計略を指す。その中で「逃げる」ことを「最上策」と掲げているのである。形勢が不利になった時の見定め方と言ってよい。どの場で使うべきかは個人の価値観にもよるが、肝心なことは状況、情勢の見極め方。的確な判断力のうえに成り立つ。


 「逃げる」が即「負け」を意味するわけではない。しかしなかなかやり直しのきかない日本社会では、逃げることには覚悟がいる。突発的にではなく、一つの手段として積極的な逃げを意識できれば、道は開けるか。そしてまた「捨てる神あれば拾う神あり」という世間のあり方も、まだまだ残ってほしいと思う。

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