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知性の不調を掘り起こす④

2019年12月15日 | 教育ノート
 「秋田の新酵母」という比喩を用いたのは、当時「秋田流花酵母(AK-1)」が開発され話題をさらっていたからである。91年には全国新酒鑑評会では金賞数でトップに輝いていた。それはともかく教育界はどうだったか。新興勢力に対する圧力はいつの時代にもあり、珍しくもない。要はどのように根づいたか、である。


 県内に限らず、平成初期から中頃にかけて法則化運動が提起した教師の指導言の明確化はかなり浸透した。私個人は授業づくりネットワーク運動に参画して、異質なものから学ぶことをベースに教材開発したり、自覚的な指導行為のあり方を探ったりすることに傾倒した。見える範囲では多様な広がりが展開されたが…。


 臨教審答申以降、次々打ち出される教育施策に右往左往している状況があった。新学力観、そして小学校では生活科そして総合的な学習の時間。考え方からいえば実践にダイナミズムを与える印象だが、具現化は困難だった。国政や地域社会の変容と同時進行していた学校組織の硬直化が、新しい風を苦く感じさせていた。


 サークルは平成5年に大きな曲がり角を迎えた。集約は第9集で止まった。ちなみに執筆者は5人だったが、学級通信に関する沼澤提案を受けて各自が論を述べる特集も組んでいた。当時では高レベルと評価できる。しかしそれ以降は、数年不定期な形で会を持ったが継続できなかった。理由は自らの意識の低さに尽きる。


 平成10年代後半から交流を持ち、刺激をうけた堀裕嗣氏が語る「中景」の喪失という観点に見事に当てはまっていた。目の前の近景や、国・県規模の遠景に注意は払っても、中間的な集団や役割の衰退をくい止められなかった。それは個人主義、市場経済といった流れに呑み込まれた結果と言えるだろう。

 つづく~次回で締め


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