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読書録16~逃げずに留まる者は

2025年04月13日 | 読書
 「耕」という字に持つイメージは「始まり」や「基礎作り」であった。文章上の比喩として使ったことも多い。しかし、土を耕すことが大量の炭素排出につながるという環境負荷視点が加わると、複雑な気分になる。様々な知識を得る度に見直すべき思考・行為は増えてくる。その重さの処理に目を背けてはいけない。



 この若き数学研究者の本には触発される。昨年読んだ『数学の贈り物』というエッセイ集も素晴らしく、三日にわたって感想をメモしていた。今回手にとったのは、コロナ禍が始まった頃の日記をもとにして、雑誌『すばる』に連載された文章だ。「緊急事態」をどう捉え、日常行為のあり方を問う記述にまた惹かれた。

 「いまのいま」の豊かさを

 行為に先立つ意味がないのは

 そえたい「か」は学びの時


 コロナ禍、それまでの日常生活を大きく制限された。しかしウィルスへの知識を持つことで喧伝された「withコロナ」。また人間以外の動植物たちにとってはある意味平穏な期間だったこと…きっと当時も考えたろう多様性への視点を、事態が過ぎればすらりと忘れてしまう私たちの呑気さ、危うさを自嘲するしかない。


 結局、新しいウィルスによる感染とは、環境破壊による寄生の変化や、人間のグローバルな動きの拡大によって引き起こされる。温暖化を引き起こしている人類の責任を皆が揃って口にするけれど、行動化という面ではあまりに弱い。自覚しつつ日々の生活に流されている自分は、どのように構え、何をすればいいのか。


 多くの刺激的な知見があった。ことにイタリアの植物学者の言が心に残る。動物は緊急事態に直面した時「逃げる」対処をしてきた。ゆえに身体、神経が発達した。しかし「植物は、環境から逃げずに、その場にいながら問題を解く」…結局この場に留まるしかない者は植物に学ぶべきだ。精緻に感じ取り、心を磨く備えを持とう。


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