すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

読者は悲しい65歳以上

2022年06月25日 | 読書
 『隣りの女』(向田邦子 文春文庫)を読んでいたら、たまたまニュースであるテロップを目にした。「もはや昭和ではない」…内閣府が発表した男女共同参画白書の中で使われた言葉だそうだ。当たり前のように見えていて結構残っていることがあるから、キャッチフレーズに使われる。昭和を知りたければ向田作品だ。


 五編の短編小説集。不倫などと言わずに浮気。テイクアウトではなく出前。アパートの壁の薄い部屋。台所の包丁を使う音、そしてミシン。もちろん無くなったわけではないが、それらが醸し出す人間のねっとりした感じは遠い過去になった。昭和前半に生まれた人間に文章で伝わってくる情景は数多くあるもんだ。


 『生きるための辞書』(北方謙三 新潮社)。馴染みはないが、顔ぐらいは知っていた。シリーズ化されたエッセイ集を初めて読む。豪快な生き方を「旅」「食」「観」などに章分けして綴っているが、要は自分らしくということ。悲しいのは、この無頼に見える人も「六十五歳以上はきっと悲しいと思う」と著したことだ。


 『新聞記者』(望月衣塑子 角川新書)を読む。先月の『なぜ日本のジャーナリズムは崩壊したか』からの興味で手を伸ばした。話題になった本だが、今さらだが面白く読めたし、映画化されるのにもふさわしい。ぜひ映像も見てみたい。描かれているのは間違いなく日本の暗部の一つだし、それを照らす個人の輝きだ。



 かつてこの国の首相だった人は「新聞を読まない人は全部自民党」と講演で話し、若い世代を取り込む心底を見せた。簡単とは思えないが「新聞」というメディアが本来目指す精神は、時代を経ても存在意義を手離せない。その一つは「権力監視」。「記者」こそ担い手である。「読者」は悲しい65歳以上だとしても…。