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あの頃もあの時も…

2022年06月03日 | 雑記帳
 数日前、痛みが続いているベッドの中で思い出した。
 かつてホームページ(ブログ以前に)をアップしていた頃に、「気まぐれ日録」と称して、漢字一字のタイトルをつけエッセイ風に書き散らしていたことがある。


これは結構新しい?ホームページ表紙だ。これよりずっと前の表紙データは今は不明だ

 その中に「痛」と題した文章の記憶がある。
 個人的な集録にも載せていたはずと、改めて引っ張り出してみた。
 少し長いが再掲してみる。

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 11月25日「痛」

 23日の朝から胃痛に悩まされた。なかなか収まらず、横浜方面への職員旅行へ出かけたはいいが、一人早めの帰宅となってしまった。痛みには結構強いほうと思っていたのだが、耐えているとやはり体力を消耗するらしい。痛み防止のためしょっちゅう食べ物を口に入れていたわりに、体重が少しおちていたことにびっくりした。

 数年前に入院した時の痛みもひどかった。手術後の一日、そして毎朝繰り返される医師による触診のあと、ベッドに倒れこむ毎日が続いた。看護婦さんに「我慢強いですね」と声をかけられたこともある。ふだんは何か身体に異常が生じると、すぐ対策をとりたくなる性質(たち)だが、振り返るとそんな時もあったのだなと思った。

 痛みに耐えられるためには、次の二つが必要かなとふと思う。
 ひとつは「なぜ、痛いのか」という原因、理由がわかっていること。もうひとつは「いつかはおさまる、こうすれば治る」といった見通しがわかっていること。この二つがはっきりしていると痛みに耐える自分に価値を見出すことができるから、そんなに苦痛?ではない。原因もわからない、見通しもたたないでは不安という心理的要素が痛みを増大させ、人は参ってしまうにちがいない。

 今、この国の首相が口にしている「痛みの伴う改革」もその点がしっかり把握できていればそんなに辛くはないと思うのだが…。原因はそこそこわかるけれど、見通しは明らかに悪い。

 「痛」はやまいだれに、甬(ヨウ)と書く。甬はもともと道という意味がある。これからの痛みは、病を克服する道になるのか。病だけの道になるのか…。


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 なんと2001年。小泉政権の頃だ。
 記録を見ると一番支持率が高かった年。
 8割のときもあった。ちょっと信じられない熱狂だ。その熱もすうっと引いていくのだが…。

 そんなことはともかく、今の私の痛みはどんな道に通じるのか。ますます気にかかる。