すぷりんぐぶろぐ

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分っているが…のキニナルキ

2019年05月23日 | 読書
 最近流行?の「教養」という語に惹かれて、手にした月刊誌。教養と知識とは違うとわかっているが、さてどのようにと問われてうまく説明できるか。この号にあった「分かっているが、なかなか出来そうにない」ことを突き詰めていけば、考える力が養われるかもしれない。


Volume.160
 「エピソードは自分の都合のいいように結論付けることができます。エビデンスで物事を判断しないと、全体像が正しく見えてきません。」

 歴史ブームの立役者といってもいい出口治明(APU学長)が語る。
 確かにその通りと考えるが、結局個人はエピソードで生きる。二つの重ね合わせをかなり意識しないと、どちらかに埋没してしまう。


Volume.161
 「演者になると、きっと演者としての立場でしかものを考えられなくなる。そう思って、まず客としての目を磨くために4年間を使おうと思いました。」

 「講談界の革命児」神田松之丞が、芸人を志しながら大学に通ったわけを、そう話した。憧れは人一倍強かったはずなのに、冷静にもう一人の自分を持っているし、戦略的である。
 「好き」は選択の大きな基準だが、客観視が才能を伸ばしていくことが分かる。


Volume.162
 「自国の文化に誇りを持っているのならそれが当たり前なのに、日本人の私だけが、正装は西洋文化を真似ることだと思い込んでいました。」


 星野リゾート社長星野佳路がアメリカの大学院時代に、最初のレセプションで感じたことをそう語る。それが、今の隆興を築く原点とも言えそうだ。
 そうは言っても、明治維新から皇室の正装さえ西洋化が取り入れられている。
 文化を身体化させている姿とは、そんなに容易な道ではないと気づく。