すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

交換している実感を持つ

2019年05月02日 | 読書
 よく知られているように、経済とは「経世済民」という語がもとになっている。この頃、自分が目の敵のように経済重視を持ちだすのは、本来的な意味からすればピント外れなことだ。正確には「市場経済」に問題がある、それに翻弄される考え方を批判すべき…ということで「市場経済」。ではなくて「市場経済」。


2019読了42
 『半市場経済 ~成長だけでない「共創社会」の時代』(内山節 角川新書)



 市場経済から一切逃れることなどできないと承知している。いかに離島や山奥に住んでいようと、今のこの国この時代では不可能なことだ。が、しかし多くの人が今の経済状況について、労働の意味について、少なからず疑問を抱いていることは確かだ。理由もぼんやりと捉えている。それを明確にしてくれる本だ。


 「経済は何のためにあるのか」と問えば、個の幸福や充足感と結びつくだろう。それを保障するための社会体制が求められるわけだが、現実には格差社会と称される構造ができ上がり、個の労働は切り売りされ充足感を持てないままに進行している。つまり「経済の展開と社会の創造が一体化」してないということだ。


 社会の一員とごく普通に言うが、今のシステムでは「その労働は、根本的に社会性はもってはいない」。感じ方に大小はあるにせよ、代替可能な労働力である虚しさを誰しもが持つ。打開のためには、新しい経済学や理論が必要なのではなく、新しい価値を共創する「関係性、共同性」なのだという実例が示されている。


 その際「スケール」はかなり重要だ。紹介されているソーシャルビジネス、エシカル(倫理的)ビジネスの多くは顔の見える関係の中で展開されている。日常生活に照らし合わせれば、市場経済の外に「交換している」実感の持てる暮らしがあるか問われる。それが共創社会の基盤になる。経済成長とは関わりがない。