すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「的」の意味を身体化する➀

2016年04月20日 | 読書
 先月末から書店で買った本は文庫ばかり。そのラインナップは、今野敏、湊かなえ、そして伊集院静…なんだ、小説ばかりかよ!さすがの隠居生活だな!と一人ツッコミ状態である。しかし、実際にはそればかり読んでいるわけでなく、ある一冊を繰り返し広げている。『インターネット的』(糸井重里 PHP新書)だ。


 実はこの新書は初刊の頃に読み、2009年にも再読し、このブログに感想メモを挙げている。そしてこの三月下旬にまた書棚から取りだし、読み始めたのだ。ぼやっーとした風呂場読書のせいかもしれないが、終わりまで読んでまた初めに戻ってしまった。一つの本にこれだけ執着できるのは珍しい。きっと何かある。


 15年も昔の、しかも「インターネット」というもはや「ネット」としか呼ばなくなった感のする用語が題名である。そして、誰が考えてもその面の変化がいかに加速度的であったかはわかる。それを今さら何故?結局「的」に込められた意味を追い求めながら、いまだ不十分な自分を強く感じているからに他ならない。


 7年前書いていることと同じと言っていい。従って、考えを実践にきちんと結び付けていれば、今さらこんな思いに囚われなくていいのだと思うが…。たとえ、繰り返しになったとしても、もう一度この場で少し時間をかけて咀嚼しながら、「的」の意味を身体化させていきたいと思った。どれほど周回遅れであってもだ。


 プロローグから引用したい言葉は、これである。

★「もうつながっている人」よりも、「まだつながっていない人」たちにこそ伝えなければならないし、逆にそっちに伝えられなければつまらない

 ネットの目的とは何か、自分たちでつるむことではない。伝えるだけの手段としてとらえることから広げる手段として、目的を見失わないことがより重要だ。